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MESSAGE
2017
3月15日

「みんなの夢を乗せた船」

今回のツアーは、都市ごとに気候が変わる。
シアトルは冬、ロサンゼルスは夏、
そしてモンタナに到着し、また冬を迎えた。
初めてのモンタナ。見渡す限りの雪山。
お迎えの人が来て
「今日あなたたちが行く町は、7500フィートのところです」
と言われる。
町の名前がビッグスカイ、という事と、
そこにある劇場で演奏する、という事だけを知っていて、
そんな高度の高い町という情報は知らなかった。
ピアノが弾けると聞いて、ここまで来ただけなのだ。

「リバー・ランズ・スルー・イット」という映画を撮影したという川沿いの山道を走り、
延々と山を登っていく。
携帯の電波も通じなくなる。
「ビックスカイは人口2300人です」と説明される。
お客さん、来るのかな・・・とシンプルな疑問が頭をよぎる。
そして、到着。スキー場のホテル。
スキー以外の目的で来ているのは、多分私達だけだろう。
目の前に広がる雪山を見て思う。
また、すごい所まで来たなぁ・・・と。

ライブ当日、とにかく水分補給を心がける。
高度の高い場所では、水分を十分に取らないと、
高度慣れしていない人間は、体調を崩しやすい。
イベンターさんが迎えに来た。
劇場のシリーズに呼ばれる場合、
ほとんどのお客さんは、そのシリーズを信用し、
何度もリピーターとして戻ってくる事が多い。
評判のいいシリーズを作るイベンターさんは、芸術監督のようなもので、
その監督のテイストをみんな信じて、
アーティスト自身をよく知らなくても、お客さんはチケットを買う。

そもそも、どうして、ここに私達を?と監督に聞くと、
「僕は、10年前からひろみの大ファンでね。
ここにはスキーしかないだろう?
でも、ここに住んでいる人は、みんな大自然が好きで、冒険が好きだ。
だから、音楽で感じられる冒険を、ここの人に経験してほしいんだよ。
きっと伝わると思うんだ。
いつもは、大体クラシックとかバレエとかカバーバンドを呼んでいるから、
お客さんはびっくりするかもしれないね。
今回は僕の個人的な冒険でもあるんだよ。」

しかし、大きな冒険に出たものだ。
この冒険をするために、監督は私のピアノとサイモンのドラムセットを、
この高地まで、はるばるロサンゼルスから運んでくれた。
監督の大きな個人的な冒険が、
吉と出るか、凶と出るかは、私達にかかっている。

会場に着き、監督の友達のピアノの先生に会う。
先生が言う。
「この町で、ヒロミに出会えるなんて夢みたい。
私はポーランドから移住したのだけど、
ポーランドにいる頃から、ファンよ。
私の国にも何度も行ってくれて、ありがとう。
生徒が、ジャズとかよくわからない、って言うんだけど、
ここは先生を信じてって言って、結構生徒がライブに来てくれるの。
夫も、最初は渋ってたけど、説得して、夫の両親もみんなで来るの。楽しみ!」

みんな、キラキラした目で、私に託してくる。

監督が言う。
「こういう町でこそ、僕は冒険をしないといけないと思っている。
山登りと音楽は近いと思うんだ。
勇気を出さなきゃ、新しい景色なんて見えない。
だから、僕は、自分の町の人に、新しい景色を見せたいんだ。
僕が初めてひろみの音楽を聴いた時、僕には新しい景色が見えたから。
みんなに芸術の新しい景色を見せる事が、僕の夢なんだ」
私も、つくづく山登りと音楽は近い、と思って
インタビューでもよくそういう話をしてきたので、
同じ事を言われてびっくりした。

サウンドチェックも終え、本番。
300人の小さな会場がいっぱいになる。
町の人が、どんなものかと集まってくる。
私達がステージに上がる前、芸術監督が、ステージに立って、
このライブをどれだけみんなに見せたかったを話す。
ハードルが上がり続ける。
そして、ステージへ。

数人、ものすごい雄叫びをあげている人がいるので、
その人達は多分モンタナに住む、数少ない私のファンだと思われる。
さて、一曲目。SPARK。会場の緊張感を感じる。
お客さんがここに来る事を選択した事が正解だったのかが決まる一曲目。
目を閉じて、心で思う。

「さぁ、行くよ。一緒に音楽の旅へ。」

高度のせいか、いつもより息が上がる。
気持ちを込めて、弾き切る。
一曲目が終わった瞬間、押し寄せてくる熱気。
よし、みんな船に乗った。
気持ちがひとつになった事を感じながら、さらなる航海へ。

二曲目、三曲目と進むたび、会場の熱量が上がっていく。
最後には、小さな子供も、お年寄りも、みんな総立ちになる。
あぁ、役目を果たせた。
みんなの夢を乗せた船は、無事航海を終えた。

本番後しばらくして、監督が顔を紅潮させて、楽屋に入ってきた。
「みんなに、ものすごく喜んでもらえたよ。
まるで僕が演奏したみたいに、みんなに褒めてもらってね。
本当に、本当にありがとう」

終演後、近くのバーに行き、軽く打ち上げ。
ポーランド人のピアノの先生も来ていて、
「生徒も家族も大喜び!私の株があがっちゃった!ありがとう。」と言ってくれる。

そこのバーで会ったおばちゃんに、突然「ヒロミ!」と両肩をガシっとつかまれ、
ぶんぶん体を揺すられながら、こう言われた。
「私ね、今日65歳の誕生日なの!
それで、さっきあなたのライブを見たんだけど、
本当に65年間生きてきてよかった!
65になっても、まだこんな知らない感覚が、人間にはあるのね。びっくりよ。
本当にありがとう!」
横にいる監督が、こちらを見て微笑む。
そう、これが彼がみんなに体験させたかった冒険なんだ。

ツアーを15年近く回っていて、思う事がある。
ツアーというのは、ミュージシャンだけでできているわけではない。
音楽という冒険パッケージを伝えたいという熱い思いのあるイベンターさんや、
フェスティバルとともに創っていくものだ。
世界中の、素晴らしいミュージシャンに出会える事もとても嬉しいけれど、
世界中の、同じ志を持ったプレゼンする側の人たちと出会える事もとても嬉しい。

ツアーはロールプレイングゲームのようだと思う。
出会いもあれば、別れもある。
いろいろな町に寄り、いろいろな人に出会い、いろいろな事を学び、
音楽の魔法を覚える。
常に前を見て、進んでいくしかない。
そうやって、地図上に、どんどん仲間が増えていく。

「お互い、新しい景色を見るために、リスクを負ってがんばろう!
そして、また一緒に仕事をしよう!」と、
監督と固く誓い合って、バーの外に出る。
冷たい雪風が吹いている。
これから向かうは、ハワイ。今度は夏。
そして有数の観光地であり、お客さんの層も全く違う。
同志を探す旅は、まだまだ続く。

2014
3月25日

「メキシコへの長い長い旅」

空港ゲート係「そのベースは持ち込めません。預けてください」
アンソニー「貴重品なので、預ける事はできない」
空港ゲート係「機内持ち込みはできません」
私「座席を買うので、持ち込ませてください」
空港ゲート係「満席なので、席はありません」

3月20日、午前4時半。シアトル空港。
前日もライブで、気持ちばかりの仮眠を取って来たばかりだ。
エンジニアのダンは、ライブ直後の深夜便に乗り、メキシコへ向かった。
今日のスケジュールはそれくらいタイトだった。
シアトルからメキシコシティーへは、
サウンドチェックに間に合う時間に到着する直行便がなく、
午前5時20分発のアリゾナ・フェニックスの乗り換え便で、
なんとか間に合うというスケジュールだった。
みんな承知して、引き受けたライブだった。
サイモン&アンソニー&私、3人でゲートの人に必死で説得する。
サイモンの饒舌な交渉、アンソニーはボスっぽく後ろでどーんと構え、
私は旅する子供の顔で、なんとか情に訴える作戦だ。
しかし全く効き目はなく、断固としてダメだと言われる。
サイモンが中に行ってCAと交渉して来ると言い、飛行機に入って行く。
一度入ったら出られません、と忠告を受ける。
10分くらいがすぎ、サイモンからメール。
「全く聞く耳を持ってくれない。こんなのは初めてだ」

楽器の飛行機持ち込みは、アメリカの音楽家組合と航空会社で決められた法律があり、
国内線は持ち込める事になっている。
その話をしても、うちの航空会社は持ち込めませんの一点張り。
今まで、アンソニーも私も、これでもかというほどアメリカ国内線に乗って来て、
こんなことは一度もなかったので、なんで今日・・という感じだ。
アンソニーは首を振って、
「絶対預けるなんて出来ない。投げられて壊れて終わりだ」と言う。
困った・・・。刻一刻と時間は過ぎて行き、最終搭乗の時間になった。
ゲートの人に「どうしますか?預けて、乗りますか?」と最後の通告を受ける。
朝5時だ。事務所もプロモーターもどこも開いていない。
私の決断が最終決断だ。
「アンソニー、乗って行って。ベースは私がなんとかする」
そう告げて、アンソニーを飛行機に乗せる。
午前5時20分。サイモンから「がんばれ」とメールが来た後、飛行機は飛び立った。
私はシアトル空港で、アンソニーのベースと、ひとり残った。

そうする事に決めたのは、いくつか理由がある。
まずサイモンは、ドラムのセッティングがある。一番早く会場に行く必要がある。
この便に乗っても、メキシコに着くのは14時だ。
アンソニーは1人でこの状況を打破することは出来ないだろうから、
私も一緒に残る必要がある。
最悪の場合、航空券を買い直すことになるのなら、2人分より1人分の方が、いい。
何よりも、みんなほとんど寝ていないのに、
メキシコに着いてから、誰1人ホテルで仮眠も取れない状況にするのわけにはいかない。
一番体力のある私が、1人残るべきだ、との判断だった。

ゲートの人が「提携会社のフライトで次の便は、
メキシコシティーに夜20時に着く便ですよ。」と言う。
20時に空港に着いたのでは、20時開場21時開演のライブには、絶対間に合わない。
仕方ない。とりあえず、ネットで他の航空会社の便を探そう。
パソコンを開く。全くインターネットに繋がらない。
今の時代、これだけ大きな空港で、WIFIが飛んでない空港なんて、ほとんどない。
なんで、こういう時に限って!仕方ない・・・。スマホで探そう。
一番早くメキシコシティーに着く便は、夜18時半着。しかも残り1席。
これより早く着く便はひとつもなかった。
しかもその便は、アトランタ経由で、シアトルから5時間、アトランタから4時間、という、
イジメのように遠回りな便だった。でもそれしかない。
初めてのメキシコ。
今回の為に、現地からの取材もたくさんして、みんな楽しみにしているよ、と言われていた。
なんとしてでも着かなければ。

ただ、この便、出発が午前8時。出発までには、後2時間しかない。
しかも、出発ゲートが、今いるゲートとは違うターミナルの一番遠いターミナルにあった。
それまでに航空券を購入発券し、チェックインし、そこのゲートに向かわなければならない。
全てを1人でやる時間はない。
マネージャーの自宅電話と、ブッキングエージェントの私用携帯を鳴らす。
アメリカでは、日本と違って、ほとんどの人がプライベートと仕事をきっちりわけている。
オフィスアワー以外に電話するのはタブーだし、ものすごい問題が発生しない限り、
私用携帯や、家の電話は鳴らしてはダメだ。
でも、今はこの「ものすごい問題が発生中」だ。
ネットに強いエージェントを、3回鳴らして叩き起こし、
今すぐパソコンで指定のフライトを購入して、と頼む。
私はその間、トラムを乗り着いて、そのフライトが出発するターミナルへ向かう。

午前6時半。
チケットが発券できた。乗り換えのデスクで、チェックインする。
ここで乗り換え中のエンジニアのダンからメール。
ダン「サイモンからメール来たよ。ベース乗れなかったって?
実は俺のヒューストンからの乗り換え便も、飛行機が不具合があって、
だいぶ遅れていて、目処がたっていないんだ。災難続きだな」
私「とりあえず、次の便を買った。
その飛行機がベースを乗せてくれて、全部オンタイムなら、ギリギリ間に合うはず」
ダン「幸運を祈る」
こんなやり取りをして、ドキドキしながら、飛行機を待つ。

ゲートでアナウンスが流れる。
「満席に付き、機内持ち込みしなくても良い荷物は、ゲートで預けてください」
あぁ・・・嫌な予感。
とりあえず、見つからないように、隠れる。
ダンからメール。「こっちは搭乗できた!あとはひろみだ!頑張れ!」
私の搭乗が始まり、この航空会社に去年たくさん乗ったため、プラチナ会員の私は、
一番最初に乗る権利がある。プラチナカードの威力の見せ所だ。
ドキドキしながら、チケットを渡す。
一瞬ベースを見られるが、何も言われなかった。
ビバ!プラチナカード。まるで、水戸黄門の印籠だ。
ドヤ顔を悟られないよう、飛行機に乗り込む。
乗り込んでも、中のCAに止められる可能性がある。とにかく笑顔だ。
いつもの3倍くらいの笑顔で、How are you?とご機嫌を伺いながら、自分の席まで歩く。
ベースを上の棚に乗せ、席に着く。
ヨシ!ここまで来た。とりあえず、サイモンとダン、エージェントと事務所に、メール。
「第一関門突破!」
あまりの睡眠不足に、飛行機が動くまえにうとうとしていたら、誰かに肩を叩かれた。
CAの人が、「搭乗券を見せてください」と私に言う。
一瞬で冷や汗がダーッと出て、搭乗券を見せる。何事だろう?
CAの人の隣には、女性が一人立っている。
「あぁ、席が重複していますね。ダブルブッキングですね・・・」
えぇーーーーー!!???
他のCAに連れられて、とりあえず女性が飛行機から降ろされる。
CAの人が、「おかしいですね。少し調べます。待ってください」
この待ち時間程、寿命が縮むものはなかった。
この飛行機を逃したら、私の人生発のメキシコ公演は、実現しない。
しばらくしてCAの人が戻って来て「そのままで大丈夫です」と言った。
ほんの10分くらいだったけど、ものすごく長く感じる10分だった。
どうして私が席の取り合いに勝ったのかは不明だけれど、この際理由なんてどうでもいい。
とりあえず、一歩公演実現に近づいた。
午前8時。
飛行機は出発し、気絶するように眠りに落ちた。

15時45分。アトランタ到着。
水戸黄門の印籠「プラチナカード」を握りしめて、次の便が出るゲートまで向かう。
ゲートに到着。この便はそこまで満席ではないらしい。少しホっとする。
サイモンからメール。
「大変だ。メキシコに着いたけど、ひろみのスーツケースとアンソニーの機材が届かない」
盲点だった。
私のスーツケースは、最初の便で、サイモン達と一緒に行ってしまっていた。
アンソニーの機材も私の名前でチェックインしていた。
直行便だったら、着いていただろう。
でも航空法で、乗客が乗っていない場合、荷物は降ろされる。
きっと乗り換え地点のフェニックスで降ろされたのだろう。
とりあえず、預け荷物引き換えのチケットを写真に撮って、サイモンにメールする。

16時15分。
荷物がどこにあるかの返事を待っている間に、搭乗時間が来た。
飛行機に乗り込む。問題なしだ。ベースを棚に乗せ、席に座る。
サイモンからメール。
「ひろみのスーツケースとアンソニーの機材は、午後22時半に到着するそうだ」
夜22時半・・・。ライブには間に合わない。
「アンソニーは、大丈夫?」とメールする。
「2人とも、今夜ALIVEを弾くのが楽しみにしているよ。笑」
冗談を言う余裕があるなら、大丈夫。
もう会場に着いているダンにメール。
私「アンソニーの機材が届かなかった。代用できる物を、いますぐ探すように、
プロモーターさんに伝えて」
ダン「なんてこった・・・了解!」
私「こっちの飛行機は、オンタイムに動きそう。18時半には着く」
ダン「了解。大丈夫、ひろみならできる」
飛行機が動きだし、携帯を切るようアナウンスが流れた。
飛行機はオンタイムで出発してくれた。
スーツケースと機材はともかく、私は18時半にはメキシコシティーに到着する。

さて、どうする。これから4時間は機内。
その時目に飛び込んで来た、機内のWI-FIのサイン。
最近アメリカの国内線はほとんど、WI-FIが飛んでいる。
この便も、アメリカ上空を飛んでいる限り、WI-FIが使えるというのだ。
やった!これで、プロモーターさんや事務所にメールができる。
眠い目をこすりながら、一定高度になるのを待ち、WI-FIを繋げる。
スーツケースと機材がなくなったことを報告。
機材については、もう動き出している、との報告を受ける。
ひろみのスーツケースでライブに絶対必要なものはあるか?と聞かれる。
スーツケースに入れているのは、衣装だけだ。
自分の今日の格好を再度確認し、愕然。
今日に限って、大好きなサンドウィッチマンのネタ、
「ピザハットリ」と書いたTシャツを着ていた。
下はジャージ。
初めてのメキシコ公演・・・。
取材カメラもたくさん来る中、ピザハットリにジャージ・・・。
サンドウィッチマンは大好きだけど、
この格好では何かあったのがお客さんにバレてしまう。
しかも、メディアを通じて、メキシコ国内中にバレてしまう。
「なんでもいいので、黒のトップス&パンツを用意してください。
あと女性スタッフにメイク道具一式&ヘアスプレーを借りられるようにしたい。」とメール。
楽しみにしてくれているメキシコのファンの為に、出来る限り、
みんなが想像しているイメージのまま、ステージに出たい。
アンソニーの代用機材が揃った連絡や、これが手に入った、あれが手に入った、
そんなやり取りをしている間、メキシコ上空に入って、WI-FIが途絶えた。少し仮眠。

18時30分メキシコシティー到着。
開場20時開演21時。飛行機を降りると、
空港の人を説得して中にいれてもらったらしいプロモーターの人が、ゲートで待っていた。
パスポートコントロールを通過し、税関を通過し、走って車に向かい、空港を出たのが19時。
会場までは30分かかるという。そして、ここから大渋滞に巻き込まれる。
このままじゃ50分かかるなぁ・・・と言われる。
とりあえず、開場は30分遅らせてもらえる事になった。
呼吸が少し苦しい。疲れが出ているのか・・・。
いや、違う。この町は標高2200m。急に山の上に来たようなものだ。
全くもって、すごい過酷な状況だ。神様はこれでもか、これでもか、と私に挑戦して来る。
くたばれ、と言わんばかりに。
くたばってたまるか、と歯を食いしばり、車内で今出来る事はないか、と脳みそフル回転で考え、
車の中で、セットリストを考えて、あと、スペイン語を教えてもらう。
私は、出来る限り、現地の言葉で挨拶をするようにしている。
昔、英語がしゃべれなかった時、
日本で外国人のミュージシャンのライブを見に行って、
英語がわかる人だけが笑ったりしている置いてきぼり感が、
とても寂しかったのを覚えているからだ。
セットリストも完成し、スペイン語も教えてもらい、会場に着いた。

19時45分。
サイモンとアンソニーが駆け寄ってきて、無言でハグ。
信じられない。本当に着いたんだ。
アンソニーが愛でるように、ベースを手にする。
ダンに「ひろみは絶対来るってわかってた。
だからプロモーターにも落ち着くように言ってたんだ。彼女は絶対来る、信じろってね。」
と言われて、涙が出そうになる。

さあ、サウンドチェックだ。開場予定時間からサウンドチェックを始める。
ほとんどの事を済ませてくれていたので、スムーズにサウンドチェックは行った。
20時半。
楽屋に黒いTシャツとパンツがあった。
用意してくれてありがとうと、プロモーターさんにお礼を言って着替える。
化粧品は?と聞いたら、なんと知り合いにメイクさんがいるから頼んだ、との事。
この上なく濃い顔のメキシコ人のメイクさん登場。
メイクをされている間、疲れもあり、ぼーっとして、あまり鏡を見ていず、
「こんな感じでどう?」と聞かれて、鏡を見てびっくり。
多分、メキシコの人から見ると、私の顔は本当に凹凸がなく、
テルマエロマエで言う、平たい顔族だったのだろう。
ものすごいシャドーとアイライナーで、昔の椿鬼奴さんのようになっていた。
失礼のないように「もう少しナチュラルに・・・」とお願いして、
だいぶ落としてもらう。
それでも向こうもプロの意地があるようで、平たい顔族の目元が耐えられないのか、
目元はあまり落としてくれず、ギリギリ、ソフト椿鬼奴のようになった。
平たい顔族に何をしても、ペネロペ・クルスにはならない。
時間もないので、ソフト椿鬼奴でステージに出ることになった。
でも、このメイク、メキシコ人にはとても受けが良く、みんなに褒められた。
あくまでお世辞かもしれないが、信じてステージに出るしかなかった。

少し開演が押し、21時15分。
幕が上がった。
今日あったことを話すかどうかプロモーターさんに聞かれたが、話さないようにお願いした。
同情を誘うのは嫌だ。
きっと疲れているだろうに、素晴らしい演奏だった、という評価は嫌だ。
あくまでガチンコ勝負で、お客さんの期待のハードルをクリアしたかった。

舞台袖で、3人で円陣を組む。「演奏ができるんだ。いい演奏にするしかない。」
ステージに出る。
ものすごい興奮の渦に巻き込まれたお客さんの歓声が聞こえた。
アンソニーとサイモンと顔を見合わせる。
ダン、プロモーター、エージェント、事務所の人達、全員のおかげで、今ここに立っている。
誰1人かけても、今日のライブは、実現しなかった。感謝の気持ちしかない。
崖っぷちからの一発大逆転だ。
お客さんの笑顔と歓声に囲まれながらライブが始まった。
「人生で初めてメキシコに来れて、ライブが出来て、本当に嬉しいです!」とスペイン語で話した。
90分を走り切る。
何度もスタンディングオーベーションを受け、泣いているお客さんもいて、涙が出た。
納得行かない部分も何カ所かあったけど、まだまだ未熟者、仕方ない。
でもやれる限界までやった。
「はぁ・・・終わった・・・夢みたいだけど、現実なんだ・・・」

結局22時半に着くはずだった荷物は、夜中の3時に届き、やっと眠りに着く事ができた。
なんて言う一日だろう。
時に人生は、必要以上にドラマティックだ。
今日という日を全うできた事を、心から誇りに思えた。

そして、次の日のメキシコ公演、その次の日のロス公演を終え、
私は今ルーマニアにいる。
さぁ、今日も限界まで、やってやろうじゃないか。

2013
1月1日

「謹賀新年」

あけましておめでとうございます。新しい一年が始まりました。
今日から始まる365日を、昨日より今日、今日より明日という気持ちで過ごして行く事で、
去年より成長した自分に出会えると信じて、コツコツ精進していきます。

新年最初のライブは、チェコから始まります。音楽の宝探しへ、今年も出発進行!

2012
6月7日

「ハードル」

今年は、初めて行く場所で演奏する事が多い。
世界は広いので、まだ行った事がない場所はたくさんあるのだけれど、
ここ2週間で、クアラルンプールや広州やオーストラリアなど、
新しい場所にたくさん行った。

初めてのプロとしての海外公演は、
2002年の12月のウンブリアジャズフェスティバル。
それからもうすぐ10年。
10年なんていうのは、あまりに短くあっという間で、
日々一生懸命過ごしているうちに過ぎてしまうものだが、
それでもそれなりの時が経ったと感じる瞬間がある。
最初の頃は、ステージに出て行くと
「なんかちょこっとしたのが出て来た。しかもアジア人」という印象で、
みんな不安げで、最初の曲でその不安バリアをどう取り除くか、
という事が焦点になっていた。
でも今は、人が待っててくれる。行った事がない場所で。
ステージに出た瞬間、「ヒロミー」という声が聞こえたり、
大きな拍手や歓声が聞こえたりして、
友達もいないはずの街で、友達が一気に増えたような感覚というか、
暖かくて、本当にありがたい気持ちでいっぱいになり、涙がこみあげる。
日々のライブはもちろん、航空券取りから、ツアーの段取り、
傾いてるステージで演奏して、アキレス腱が筋肉痛になった事、
機材が揃ってなくてプロモーターとしたけんか、
階段を着け忘れたステージに、イントレをつたってよじ上った事、
全ての積み上げてきたものが形になる、
10年やってきて良かったと思う瞬間だ。

その喜びも束の間、「まだ一音も弾いていない」という事実から、
前よりずっと高いハードルを用意されている事に気づく。
前は期待値ゼロなので、そのハードルは今よりはずっと低い。
でも、あれだけの笑顔と歓声で迎えられると、
「ずっとCD聞いていたよ。映像も動画で見たよ。さぁやってくれよ。」
とお客さんの期待も大きい。
期待に満ちている人達を満足させるというハードルは、
ずっとずっと高い。

今回のメルボルン公演は3公演。
1本目がトリオだった。トリオ公演は完売していて、
アンソニーやサイモンを見るのを、
楽しみにしているお客さんもたくさんいた。
ステージ袖で円陣を組み、ステージに向かう。
ピアノに座り、一番最初に弾く一音目。
私はクラブ公演も大好きだけれど、
コンサートホールの、この一音目を弾く前の静けさが、たまらなく好きだ。
ステージも客席も、そこにいる人間の全神経が、一音目に注がれる。
これが、私と初めて行く場所のお客さんとの最初の接点だ。
ありったけの集中力と想いを込めて、一音目を弾く。
そしてそこからは、音楽と共に旅をする。
1曲目が終わった瞬間、わーっと拍手と歓声が聞こえて始めて、
やっとスタート地点に立てる。
そこからまた1曲1曲大切に紡いでいく。
1音1音が勝負である。

ライブ会場でステージの上に立つという事は、
言ってみれば船の船長みたいなもので、
乗船しているお客さんは運命共同体であり、
そのお客さんを、楽しい航海に連れて行く責任がある。
だからこそ、拍手や笑顔は、
お客さんがその旅を喜んでくれている証であって、
それを見るたび、ガッツポーズの気分になる。
この日のライブは、集中力が高く、冒険心に満ちたライブが出来た。
スタンディングオーベーションまでもらえた。
メルボルンでスタンディングオーベーションが起きるのは、
とても稀だそうで、
フェスティバルの人達も、みんな興奮しているのがよくわかった。

嬉しかったのは、完売まであと一息だった二日後のソロ公演が、
この日ライブが終わった直後に完売した事。
トリオで見たお客さんが、もう一度見たいと思って買って帰ってくれたのだ。
まるでデパートの実演販売だ。
ライブを見た二日後に、また同じ人を見たい!と思ってもらえるのは、
本当にうれしい。

そしてソロ公演。
もともとトリオとソロを、
セットでチケットを買ってくれている人もたくさんいたらしい。
実演販売で、買ってくれた人達もいる。
つまり、今回のハードルは、一昨日のそれより、さらに上がっている。
だって、一昨日見ているのだ。
トリオとソロ、違う形態だとはいえ、私が同じ人間なのには間違いない。
しかも人数的には−2。
ステージ袖で、円陣を組む人も、今日はいない。
1人で船長を務めなければならない。
「高いハードルだなぁ。。。」体中に興奮が走る。
ハードル上等。
ラウンド2!とどこからか声とベルが聞こえたような気がした。

意を決して、ステージへ。
出た瞬間、大きな歓声。
さらにハードルが上がる。
もうピアノがまるでラスボスのようだ。
映画だったら、ぺっぺっと両手につばでも吐くシーンだ。
全神経を集中させて、一音目を弾く。
1曲目が終わった時、勢い良くピアノから飛び出て、
お客さんに背を向ける形で弾き終えた。
その瞬間、背後から、わーっという歓声が聞こえた。
さぁ、スタート地点に立った。
だってハードルは上がっていくばかり。
1曲1曲、お客さんが私の演奏に慣れていくからだ。
それは、トリオでもソロでも同じ事だけれど、
トリオの時は、仲間が助けてくれる。
つまり、自分がゲームメイキングに行き詰まっても、
仲間にパスを出せたり、仲間がゴールを決めてくれたりする。
でもソロはそうはいかない。
行き詰まったら、ゲームオーバーだ。
ひとつひとつハードルを越えていって、最後の曲が終わった瞬間、
スタンディングオーベーションが起こった。
この瞬間、こぶしをあげていた。
何倍にもなった期待にきちんと応えられて、自分自身に勝てた瞬間だった。
音楽は、スポーツではない。スコアで出る「勝ち負け」は存在しない。
でも、毎ライブが「勝負」である事には間違いない。
だから、自分に勝てた瞬間に、
スポーツ選手と同じようなポーズを取ってしまうのは、
仕方ないのかもしれない。

次の日のトリオ公演は、スペシャルクラブセッションという事で、
200人程入るクラブで行われ、お客さんも近く、
とても和気あいあいとした、熱気溢れるライブだった。
MCで「絶対メルボルンに帰ってきます」と約束をした。
終わった後に、フェスティバルの人が、ブーメランをくれた。
「オーストラリアでブーメランをもらうと
、絶対帰ってくるという言い伝えがあるのよ」と言われた。
担当してくれていた女の子は、
「本当に素晴らしい5日間だった」と言って涙を流してくれた。
「メルボルンに住んで、ずっとここで公演して」という人までいた。
5日前、知らない国だったのは、もう信じがたい事実になっていた。
いつも奇跡のようだと思う。
「でも、行かなきゃ。旅は続くの。」寅さん風だ。

今はメルボルンの空港にいる。
これからメルボルン→シンガポール、シンガポール→フランクフルト、
フランクフルト→リズボン、リズボン→ポンタデルガダという、
計38時間の人生最大の移動をする。
メルボルンの空港でチェックインする時、航空会社の人に、
「ぽんたでるがだ?これは、どこにあるの?」と聞かれた。
「アゾレス諸島。大西洋の真ん中に浮かぶ島」
そう。アゾレス諸島でソロ公演。
とうとう、アゾレスを想って書いた「Islands Azores」が、
現地に降り立つときがやってきた。
だから、メルボルンへの想いは、一旦ここに置いて行こう。
また必ず来る事を信じて。
アゾレス諸島のために書いた曲を、現地の人達に初めて披露するという
新しいハードルが私を待っているのだから。

考えてみたら、バカみたいな移動時間だけれど、
何かに対してバカみたいに情熱を持てる事は、ありがたい事だと思う。
ライブは言葉の通り、LIVE、生きている事を感じられる場所だ。
携帯やパソコンでは絶対に得られないものが、
人と正面切って会うという事にはある。
「ガチンコ勝負」の大切さが、今の時代だからこそ、
際立ってきているのだと思う。
「生身の人間同士が向かい合う」という事は、
向かい合わないより傷つく事もあるかもしれないけれど、
心から絶対消える事のない思い出をくれる。
だから、バカみたいな移動をしてまでも、
振動を感じたくて、伝えたいんだと思う。
ハイテクな時代に、原始時代みたいな欲求だけれど、とても単純な理由だ。
私は演奏がしたい。

きっと、人生には常に、自分の前にハードルが置かれているのだろう。
明らかに目の前に置かれているものもあれば、
探さなければ見つけられないハードルもある。
そのハードルが、自分の仕事に関わるものならば、
それは必ず自分の仕事を、そして自分自身を成長させてくれる。
だからこそ、ハードルを見つける探究心と、それにわくわくする好奇心と、
そしてそれを必ず越えるという強い意志が、
常に必要なのだと思う。

1月18日

「2012」

新しい年が始まりました。
2012年が、良き年になりますように。
悲しみや痛みを、少しでも癒してくれる年になりますように。

私のライブ初めは、
NY州のニュージャージーで始まります。
今年もわくわくドキドキできるよう、
音楽の宝探しを続けていきます。
「新年」は新しいやる気を必ずプレゼントしてくれます。
その意気込みを胸に、一歩ずつ。
そして、とことん貪欲に。

今をしっかり生き抜く事、
それが命に対する感謝なんだと思う。
今年も、走ります!

2011
7月31日

「Hunger」

ウィーン空港にいた。
ルーマニアへのうまい乗り継ぎがなく、
空港で6時間待っていた時の事だった。
ルーマニアのフェスティバルの人からの連絡。

「ピアノを運んでいたトラックが事故に遭い、
ピアノが壊れたため、ピアノがないです」
「・・・・・・・」

目が点、とはこの事だ。
ただでさえ、疲れているし、夢だったらどれだけ良いか。
でも、ピアノがないのだ。
「今必死で探しています」との事。
不安を抱えたまま、ルーマニア行きの飛行機に乗る。
降りる頃には、解決していますように。

ルーマニアに着いた。
フェスティバルのお迎えの女の子が「HIROMI」と書いた紙を
持っている。
その子が開口一番「ピアノの事は、聞きました?」
「・・・・・・・・・・・・・。まだ解決してないの?」
「コンサートで弾けるようなピアノが私達の町にはないんです」
今から行く町は、空港から更に3時間弱かけて着くガラナという街。
行った事がないので、想像もつかないが、相当田舎らしい。

車にとりあえず乗り込み、呆然としながら、
フェスティバルの一番えらい人と話をする。
何度も電話が途切れる。
電話が圏外になるほど、田舎らしい。。。益々不安が募る。
長旅を経て、ピアノがなくて演奏できなかったら、哀しすぎる。
しばらくして、女の子の所に、えらい人から電話があり、
「ピアノが見つかりました!でも、C3です」
「C3・・・」
C3というピアノは、言ってみれば練習用のベイビーグランドピアノだ。
それでアンソニーのコントラベースギターと、
サイモンのツーバスのドラムをやるのは、とても難しい。
ドラムセットより、ピアノの方が小さいぐらいのサイズだ。
女の子が聞く。
「どうしますか?コンサート、キャンセルですか?」
「いや、キャンセルはしないけど・・・。ここまで来たのだし。。。
でも、なんとかせめてセミグランドピアノでもいいから、探せませんか?」
「明日の朝まで待たないと、今の時間では、もう無理です」
それもそのはず。もう、朝の1時を回っていた。
車は進み、どんどん林の中に入っていく。
希望が途絶えていくみたいだった。

あまりの疲れから、意識が時々遠のく中、女の子が言った。
「私、ピアノをやってたんだけど、途中で嫌になってやめたんです。
最近やっぱりピアノが好きだなぁと思って、また始めたんだけど、
続ける秘訣はなんですか?」
とてもマジメな質問だ。
意識がふらふらの中、出た答えは、
今までどのインタビューでも言った事がない答えだったけれど、
意識がふらふらだったからこそ、本能に基づく本当の答えだったと思う。

「Hunger」(飢え)

音楽に対する飢え。
もっともっとと欲する気持ち。
それじゃなければ、24時間もかけて、どこかに演奏に行かないし。
ただ、好きだから。欲しいから。
本能に忠実な欲望。

そんな話をしながら、ふらふらの意識の中、車に乗っていたら、
警察に止められた。スピード違反だそうだ。
もう、笑ってしまう。踏んだり蹴ったりだ。
こういう不運続きな日が、時々ある。
空き缶があったら蹴りたいような日だ。
でも、蹴る缶もないので、
こういう時は、どんなに深夜でもアイスクリームを食べていい、
という小さなルールを自分で決めている。
でも、アイスクリームも売ってなかったので、しょんぼりだ。
ふてくされるしかない。
結局着いたのは、夜3時半を回った頃だった。

朝起きて、会場へ向かう。
堂々とステージに座る、小さなピアノC3。
「今日の相棒は、僕です。もう変わりようのない事実です。」と
言っているかのように。
昨日話したフェスティバルの人が謝りに来る。
「もうしょうがないから、これでやるしかないね」
小さなピアノを大きく見せる魔法をかけなければ。
マイキング、演奏、全てをもってして。
だって、お客さんに罪はない。
いつも、結局ここに行き着く。
トラックが事故にあった。残念。不運。
でも、ピアノが届かない事も、大きなピアノが探せなかった事も、
全ての責任は、「私がステージを演る」と決めた瞬間、私の責任になる。
だから、後は、全力投球。
ピアノの角度を工夫して、なるべく小さなピアノに見えないように、
ほぼ無駄に近い努力も全てする。

ルーマニアでの初めての公演。
初めて来たとは思えないウェルカム。熱狂的なお客さん。
ピアノの大きさも、長旅も、すべて忘れて、音に身を委ねる。
毎日、その日の限界へ。
音楽の楽しい旅に出掛けよう。
近年、インターネットは普及し、音楽も含め、どんなものもネット
で買えるし、
ライブ映像だって、簡単に動画で見れる時代になった。
最近はスーパーの買い物さえインターネットでできる。
人と人との関わりは、30年前に比べたら、本当に薄くなった。
でも、こうやって足を使い、旅をして、人と出逢っては別れ、
という生活を繰り返していると、人は人に生かされていると痛感する。
私が戻りたい場所は、世界遺産でも、おしゃれな場所でもなくて、
人と本気で向かい合った事実を感じる場所だ。
自分で、探して、求めて、つかみ取る場所。

どこにでも、必ず輝きに満ちている場所がある。
それを熱望する事は、私の人生にとても大切だ。
一見何も魔法が起こらなそうな場所も、たくさんある。
みんな「ただのいち仕事」として、仕事をしている時もある。
でも、仕事以上の仕事にするために、
まずは状況や環境にふてくされる前に、
自分から魔法を起こす努力は不可欠だ。

一緒に仕事をしたい人を、世界中に増やそう。
また逢いたいと思える人を、世界中に増やそう。
うまくいかない時だってある。
でも、出逢いたいから、探し続ける。
毎日畑を耕すように。花に水をやるように。コツコツと。

ライブの余韻に浸る暇もなく、
終演直後に3時間のドライブをし、空港近くのホテルに泊まる。
1時間半の仮眠の後、今からスペインへ。
今から、3つフライトを乗り継いで、今日演奏だ。
そう、私はまだ飢えている。
もっと素晴らしい音楽の冒険を。
音楽でお腹がいっぱいになる日は、まだまだずっと来ない。

4月1日

「皆様へ」

東日本大震災により、被災された方々に、心よりお見舞いを申し上げます。
被災地の方の一日でも早い救出と、安全の確保を心から願っています。

震災が起きてから、今自分にできる事は何か、考えました。
音楽を通じて、ほんの少しでも元気を届ける事。
自分ができる事を、何かしたいという想いから、
今回の公演が決まりました。

突然の事ですので、皆様のご予定もなかなかつかないとは思いますが、
是非足を運んでいただけたら、幸いです。
なお、被災地復興のため、今回の出演料は、全額寄付させていただきます。

上原ひろみ

※ライブ詳細はNEWSをご覧下さい。

1月5日

「謹賀新年」

あけましておめでとうございます。
新しい年が始まりました。

今年は、新プロジェクトも始動し、
ニューアルバムをリリースします。
自分史上、最高の作品を作る事ができました。
そのアルバムを引っさげ、
まだ見た事のない新しい景色を求めて、
ツアーをする1年になりそうです。

昨年最後のライブは、
デビュー作「ANOTHER MIND」のツアー以来初めて、
ブルーノート名古屋で演奏させていただきました。
03年のツアーを思い出し、
いろいろな想いがかけめぐりましたが、
一番嬉しかった事は、
「初心」を忘れていなかった事でした。
03年に持っていた、音楽にかける想いは、
初心より、強くなっていたくらいでした。
今年も、挑戦し続け、感謝の気持ちを忘れる事なく、
頑張りたいと思います。

一年というと大きいけれど、
一年は、一日一日の積み重ね。
毎日を大切に、今年もコツコツ山登り。
そして、今年の大晦日には、
うさぎのように、ぴょーんとジャンプを実感できますように。

今年もよろしく御願いします。
みなさんにとって、幸多き年でありますように。

2010
6月28日

「真夏の夜の夢」

セントラルパークサマーステージ。
夏の間だけ、セントラルパークの特設ステージで、
あらゆるジャンルのライブから、バレエやオペラまでが行われるステージ。
いろんなミュージシャンを見に行ったそのステージに立つ日が来た。


今日は、真夏日。
マッコイタイナーグループと、
私の参加するスタンリークラークバンドのダブルビル。
夜だとはいえ、まだ日も下がらない暑い中、
70歳を超えるマッコイが1時間強演奏するというのは、
並大抵ではないスタミナだと思う。
彼の演奏は相変わらず力強くて、ピアノの低音が、地鳴りのように
鳴り響く。
演奏に歴史を感じて、今もなお、新しい事をし続ける姿勢に、圧倒される。


そして、私達の出番。
セントラルパークの木々が囲むそのステージに、初めて立つ。
すごい人だ。
椅子には人、人、人。
椅子の間の芝生にも、人、人、人。
後ろの方にも、立っている人、人、人。
ものすごいエネルギーがそこにある。


そして、演奏開始。
スタンリーもノリノリ。1曲目からすごい歓声。
とりあえず、お客さんとの一番最初の儀式が終わった。
繋がれるか、否か。
繋がった。


2曲目に入り、ベースの調子がおかしい。
ブーッという音がしては、音が時々出なくなる。
すごい楽しみにしている野外ライブに限って、
なぜか起こるトラブル。
ノード君が2回とも壊れた「フジロックの呪い」を思い出す。


そして、私のソロセクションに入った頃、
ベースが完全にマイクを通さなくなった。
スタンリーも、右を見たり左を見たりして、サウンドの人を探す。
弾き続けるが、誰にも聞こえない。
ベースのピックアップマイクがどうやら壊れているらしい。
だからといって、曲を止めるわけにはいかないし、
今ソロパートで舵取りをしているのは私なわけだから、
私に全責任がかかってくる。


とにかく、止めてはいけない。
なんとかお客さんに
「ハプニングはあったけど、あれはあれで良かった!」
と言ってもらえるような流れを、作っていかなくてはならない。
正直、非常に厳しい局面だった。
ベースがないと難しいアップテンポのキメキメの曲だったからだ。
Return to foreverのNo Mystery。
フジロックを思い出した。
最も弾くのを楽しみにしていたカンフーワールドチャンピオンという曲で、
ノードリードがうんともすんとも言わなくなった。
いつも、楽しみにしすぎると、こういう仕打ちが待っている。
まるで、音楽の神様のいたずらのように。


スタンリーのサウンドエンジニアも、
人ごみをかき分けてステージに来るまでには、
結構な時間がかかる。
とにかく、ベースがいなくなった、のではなく、
ベースが敢えていない面白い演奏にしていかなくてはいけない。
そこを念頭に置いて、演奏し続ける。
数分間のガチンコ勝負。
一度曲を中断し、最初からやり直すなんて選択肢は私の中にはなかった。
どんなピンチもチャンス。
今の状況だからこそ作れる面白いものがあるはずだ。
エンジニアの人がやっと走ってきて、ベースが治り、
私のソロセクションを無事脱出。
キーボードのソロにバトンタッチし、
ふとピアノの左横の舞台袖を見た時、
そこに立っている人達を見て、私は驚愕した。


レニーホワイトとアルディメオラだった。
前を見れば、スタンリークラーク。
あまりの状況に、頭がパニックして出たイメージ映像かと思った。
Return to foreverのメンバーの4人中3人がここにいる状況。
鈍器で殴られたような衝撃だった。
御本家の前で、トラブル続きの状況下での演奏。
スタンリーは一緒に演奏しているとはいえ、
スタンリー、レニー、アル、3人そろった前で、
必死でベースレスで、彼らの曲を弾き続けた事を、
私は一生忘れないだろう。


ステージ脇で働いていた人に聞いたら、
私が、レニーとアルを見つけたとき、
私は相当間抜けな顔をしていたらしい。
びっくりしすぎて、あごがはずれるかと思った。
漫画のような顔をしていたに違いない。


この曲が終わった瞬間、
会場全体がスタンディングオーベーションになった。
良かった。ピンチを乗り越えたんだ、と確認できた。
レニーとアルも満面の笑顔で拍手をしてくれた。
夢のステージで夢の人達と逢う。
まるで真夏の夜の夢。


この夏だけで、50本を越えるライブがある。
スタンリーとのライブが8割を超える。
今は、スタンリーとの夏期集中講座に参加しているようで、
毎日いろんな驚きや発見がある。
今は、スタンリークラークという闘技場で、
「スタンリークラークの教え」という、
秘伝のまきものを、私は身を持って学んでいるところだ。
最高の夏期講習は、まだまだ続く。

2月18日

「24 - TWENTY FOUR」

ベルンの人達と、至福な5日間を過ごした後、
私は、チューリッヒ空港にいた。
グルジアに向かうためだった。
思えば、去年の秋頃、
「You will be playing in Georgia」というメールを受け取り、
最初、ジョージア州で演奏するのだと思っていた。
そのうち、私の行くGeorgiaは、アメリカのジョージア州ではなく、
元ソビエト連邦だったグルジアらしい、という事に気づき、
外務省の海外安全情報ページを調べたり,
グルジアの日本大使館に連絡したりして、安全を確認した。
少し前まで、ロシアと紛争があった国、という事しか知らなかった私は、
最初、行こうかどうか、本当に迷ったけれど、
日本大使館や各方面の方々が、「首都は安全です」と言っていたのもあって、
行く事を決めた。


そして決まった、初めてのグルジアでのライブ。
2月15日。
ベルンからチューリッヒまで車で1時間半。
チューリッヒから、ミュンヘンまで、飛行機で1時間。
ミュンヘンから、グルジアの首都トビリシまで、飛行機で約4時間。


ミュンヘンートビリシのフライトは、一日一本しかなく、
なぜか夜9時発、朝4時着というもので、
(トビリシーミュンヘン間の時差は3時間)
到着したのは、ライブ当日、2月15日の朝4時だった。
飛行機から降りて、普通はパスポートコントロールまで歩くのだが、
降りたらすぐ,
「HIROMI」と書いた紙を持っている客室乗務員が立っていた。
こちらへどうぞと言われ着いて行くと、車が待っていた。
車で、VIP PASSPORT CONTROLという所に連れていかれて、驚く。
ハリウッドスターのような気分になったのも束の間、
手続きが終わり、なぜか外に出るのに、セキュリティチェックが行われ、
国の情勢を感じる。
サプライズは、まだここでは終わらなかった。


空港の到着玄関口をくぐると、朝の4時半だというのに、
何台ものテレビカメラが、待っていた。
プロモーターの人から、グルジアのテレビ局が、
ドキュメンタリーテレビを撮りたいと言っていると聞いていたので、
一台はいるだろうと思っていたけど、
たくさんのマスコミは、予想の範疇を超えていた。
こんな事は、人生で初めてだったので、あまりにびっくりして、
私は、きっと口をあんぐり開けて、
まぬけな顔でテレビに写ったに違いない。
レポーターが、覆いかぶさるように次々と質問してくる。
そして、口々に、みんなが言った。


『Why did you come to Georgia?』


これを直訳すると、なぜグルジアに来たのですか?になるけれど、
彼らの言い方も含め和訳すると、
「一体全体、どうして、グルジアに来る事を決めたんですか!!??」
というニュアンスだった。


聞かれた私が、びっくりして、
「演奏させてもらえると聞いたので」
と言うと、さらに質問が続いた。


「あなたのグルジア前の最後の公演は、ベルン。
その後、すぐにモントリオールで公演があります。
そんな、タイトスケジュールの中、
なぜはるばるグルジアまで来る事を選んだのですか?」


朝5時
私の頭はちんぷんかんぷん。
長旅の上、さらに立て続けに、質問が続き、理解不能になっていた。
この質問にも、
「15日にグルジアで演奏できると聞いて、
14日にベルンを出て、15日にグルジアに着いて演奏し、
16日にグルジアを出れば、18日のモントリオールには間に合うと思ったので」
と、答えてしまった。
「そんなスケジュールで普通来ませんよ」と言われ、
「でも、なるべく演奏したいので」と言って、やっとわかってもらえた。


さらにいくつか質問が続き、
とにかく、グルジアまで来る事が、通常ではないようだ、という事を、
なんとなく理解して、ホテルへ車で向かった。


車の中で、今回のイベントの責任者がこういった。
「明日のライブは、大統領夫人が見えられます。
それと、ロシアの話はあまりしないでください。
ロシア語も、グルジア語ではないので、混同して使わないでください」


10秒くらいの短い文章の中に、どれだけびっくりさせられるか、
この人はわかっているのだろうか、と思った。
大統領夫人が、どうして来るのだろうか?と思ったし、
ロシアとの情勢についても、さらっと説明された。


頭の中は、まったく整理できず、
ホテルにも、カメラがいて、よくわからないまま、部屋にチェックイン。
まるで、どっきりカメラだ。
もう、時間は朝5時半を回り、昼の1時半には、
日本大使館に向けて出発する事になっていたので、とりあえず仮眠。


午後2時、日本大使館到着。
サプライズがあるのよ、と大使夫人がおっしゃり、3階まで連れていかれたら、
グルジアの伝統的コスチュームに身を包んだ男性が8人、並んでいた。
そして、わけもわからないまま、椅子に座ると、
男性が、歌を歌いだした。
5曲程歌ってくれた後、
「ひろみがグルジアまで来てくれたので、お祝いの歌をプレゼント」という、
イベンターさんからのはからいだったと知る。
その後も、アンコール(?)で「長生きする歌」を歌ってくれた後、
ランチをご馳走になり、
大使から、グルジアには日本人が17人しかいない、という事や、
今回、Japan Weekというのを開催して、
日本の映画をいろいろ上映する事で、日本という国を、
グルジアの人にもわかってもらえる機会を作ったという話を聞く。
グルジアの人には、日本人は未知の世界なのだ。
なんで、ここまで来たのか、と散々聞かれたのも、なんとなくわかる。


そんなうちに、3時を回り、
4時のサウンドチェックに向けて、大使館を出発。
まさに分刻みのスケジュールだ。


コンサート会場に着いて、劇場の美しさに息をのむ。
今日ここで演奏できるのかと思うと、鳥肌が立った。
そして、30分間の現地のメディアとの記者会見。
テレビやラジオや新聞や、いろんな媒体に、やはり何度も聞かれた。
「なぜ、グルジアに来たのですか?」


それから、サウンドチェック。
ピアノを触り、状態を見て、調律師のおじさんに、いろいろ注文を出す。
おじさんは、グルジア語しか話さないので、
コミュニケーションは、ジェスチャーでしか、通じない。
「この鍵盤の(音を鳴らす)、弦は(指を指す)、
嫌な音がします (耳をさして、嫌な顔をする)」
伝えた事がわかると、おじさんが笑顔で、
おじさんは、とても良い人だった。
言葉はひとつも通じなかったけど、私が寒そうにしていたら、
自分の着ていたジャケットを脱ぎ、私にかけようとしてくれた。
会場で、会う人たちは、みんなとても優しい人達ばかりで、
おなかはすいてないか?寒くないか?何か必要なものはないか?と、
とにかく何度も声をかけてくれ、優しさが心にしみた。
お互いの言葉を教え合って、マドゥロバ(ありがとう)、と話した。
「世界ふしぎ発見」のようだった。


7時開場。8時開演。
そして、いざステージへ。
立ち見もいっぱいの、4階まで満席の会場。
初めて来た国の、初めて会う人達。
それを見た瞬間、体のエネルギーが、フルチャージになる
1曲目を弾き終わった瞬間、ブラボーという声とともに、会場が熱気に包まれた。
毎日、その場所でのお客さんとの可能性は、
この瞬間にかかっているといっても、過言ではない。
とりあえず、掴んだ。通じた。繋がった。


覚えたてのグルジア語で、本当にありがとう、と伝える。
ディーディーマドゥロバ。


1曲1曲、まるで自己紹介でもするように、
会場のひとりひとりに向けて、心をこめて、演奏をした。
第一部が終わったときには、拍手が鳴り止まず、
「第二部もあるって、お客さん知ってますよね?」と、
責任者の人に確認したくらいだった。


第二部が始まり、まるで渦を巻くように、
会場がひとつになっていく。
最後の曲が終わった瞬間、一番上の4階まで、総立ちになって拍手
してくれた。


今朝まで足を踏み入れた事がなかった国。
来るかどうか、迷った国。
そこで、出逢った人達が、みんな笑顔で拍手してくれている。
声を上げてくれている。


普段なら、これで、感動して終わるとこだろう。
でも、サプライズに満ちたグルジアは、そうは問屋がおろさない。
深々とお辞儀をして、ステージ脇に帰ろうと思ったその瞬間の事だった。


なんと、昼間大使館で見たグルジアの民族服を来たコーラスグループが(違う人達)、
ステージに立っていたのだ。
私がお辞儀している間に、彼らがステージに出て来ていた事など、
気づく由もなく、びっくりして、うわ!といって、のけぞってしまった。
この間抜けな姿を見て、観客は大笑い。
本当に、どっきりカメラみたいである。


「もしかして、グルジアでは、コンサートの最後に、歌を歌う習慣が!?」と、
パニックしながら、なんとか頭で勝手に理解し、
そそくさとステージを後にすると、お客さんは笑い続けるし、
袖に帰ったら責任者の人に、
「ひろみへの感謝を歌うために、出てきたのに、
あなたが戻って来て、どうするのよ!」と言われ、
(そんなの、わからないよー)と心で叫びながら、
また、そそくさと舞台に戻って笑われる。


2時間にわたるせっかくの演奏を、
台無しにしたかのような失態はさておき、
歌が始まる。
それはそれは勇壮で、おなかの底から、声というエネルギーを通じて、
元気をくれるような歌だった。


そして、終わると、お客さんが、また拍手をして、
今、歌ったのは、コーラスグループの人なので、私も拍手をしていたら、
コーラスグループの人も、なぜか私に拍手をしてくれた。
観客の拍手は、どうやらねぎらいの意味で、
私におくられていたものらしく、
私のとんちんかんな行動で、またお客さんは笑っていた。


朝から、いっぱいいっぱいだったんだろう。
分刻みのスケジュールもしかり、
短い間ながら、一生懸命、
習慣や文化や考え方を理解しようと思うのもしかり。
なぜか、テレビ局がたくさん取材に来た理由も、
日本人だけでなく、
外国人がグルジアにライブをしに来る事自体が、
本当に珍しいからと知った私は、
日の丸を背負っているような気持ちになった。
日本人が17人しか住んでないのなら、
観客が、初めて体験する日本人との文化交流なのかもしれないと思った。


この間まで戦争やクーデターが絶えなかったこのグルジアで、
人が笑顔になっている。
しかも、自分の音楽でだ。
これほどの幸せはない。
主催者の人たちも何度も「ここまで来てくれて、ありがとう」と言い、
コーラス隊を用意したり、出来る限りのもてなしをしてくれた。
お客さんも、みんなそれを微笑ましく見守ってくれた。


コーラス隊がステージを去り、鳴り止まない拍手を前に、
私はピアノに座った。
そして、英語が通じるかはわからないけど、どうしても伝えたくて、
マイクを持った。


「今朝4時に到着して、明日朝4時に出発する。
たった24時間の旅のために、どうしてここに来たか、と
今日何度も聞かれました。
でも、今、どうしてか、それがよくわかりました。
本当にかけがえのない瞬間で、感動して・・・」


話していて、言葉に詰まり、涙が止まらず、
言いたい事を言い終えられないなんて、
生まれて初めてだった。
泣きながら話しても、仕方ないので、とにかくピアノに向かった。
渾身の、Place to be。
新しい居場所を見つけた喜びそのものだった。


演奏し終わり、また総立ちになった会場に、深々とお辞儀をした。
泣いている人が、たくさんいた。
おじさんも、おばさんも、泣いていた。


アンコールを終えてもまだ拍手が続くと、
私は、いつもまた弾く傾向にある。
続く拍手が、「もっと!」という声に聞こえるからだ。
ステージに、再度登場したとき、私は、演奏しようと思わなかった。
こんな事も初めてだった。
別に疲れていたわけではない。
弾こうと思えば、まだ何曲だって弾けた。
でも、そのとき見た会場中の人の顔は、
本当に満たされた顔で、何とも言えない笑顔で、
「出逢えて良かった」という言葉が、会場中から降ってきているようだった。
さっき演奏したPlace to be以上、もう伝える言葉がないと確信した。
そして、「出逢ってくれて、ありがとう」と深くお辞儀をして、 ステージを後にした。
それはまるで、お辞儀と拍手で、固い握手を交わし、
また来るよという約束をしたようだった。


ステージ裏に戻っても、涙が止まらなかった。
こんな事も初めてだった。
いろんな人と言葉も交わさず、ハグをした。みんな泣いていた。


あまりの感動に、ぼーっとするも束の間、
3時には、ホテルを出発するので、
お風呂に入って、ストレッチをして、荷造り。
そしたら、もう3時になっていた。


空港に着いて、この24時間に起きた事が信じられなかった。
24時間という時間の使い道には、いろいろある。
この24時間は、これ以上の使い道はなかったと言い切れる。


空港で、ライブの責任者や、協力してくれた人達が見送りに来てくれた。
みんな、目に涙を浮かべている。
固いハグをして、また帰ってくると誓った。
涙あふれる24時間。
一生忘れない。

1月4日

「謹賀新年」

謹賀新年。
あけましておめでとうございます。

今年は欧米で、Place to beがリリースされ、
これから海外行脚が続きます。
世界中で書いた曲を、書いた街で弾いて行く。
ニューヨークで、ボストンで、ベルンで。
曲がその土地に舞い降りる瞬間を、
味わって行く年になりそうです。

ピアノという楽器を相棒に持ち、24年。
昨年末から始まったソロピアノツアーで、
ピアノと一対一で向かい合い、
つくづく近いようで遠い存在であると感じました。

喧嘩をしかけても、負ける。
だからといって、下手に出ても、負ける。
自分が、ピアノという完全な楽器に見合うようになるまで、
弾き続けて行くしかない。
ピアノにピアニストとして認めてもらうのには、
果てしない道のりがある。
でも、時々ピアノから感じる感覚。
「おぬし、なかなかやるな。」
これを少しでも多く感じたい。

目の前にあるハードルを、
ひとつひとつ飛び越えていけるように、
初心を常に持ち続け、
今年も頑張って行きたいと思います。
ひろみトラベルは続く。。。

2009
5月27日

「ジャズ・イン・ザ・バトルフィールド」

5月22日。ジャクソンビル・フロリダ。雨。
初めて降り立ったこの街で、私は、ステージに上がろうとしていた。
今日は、スタンリークラークトリオの初めてのライブ。
スタンリークラークの作品や、レニーホワイトの作品を、
昔から聴いてきた私にとって、
ステージの袖で、一緒に出番を待っている人たちが、
その人達だという事に、不思議な感覚を覚えずにはいられなかった。

去年の12月にアルバムを作った時は、
確かにスタンリークラークとレニーホワイトというレジェンド二人と、
アルバムを作るという事に、驚きと興奮はあったけれど、
客観視できない自分がいた。
ごく自然に、1ミュージシャンとして、相手から出てくる音に、
全神経を集中し、
どういうアルバムに仕上げたいのか、という、
スタンリーの美意識を大切にしていた。

その後の、いろいろな国の取材で、
スタンリーのアルバムに参加した事を、たくさん聞かれ、
さらに、いろんな記事を新聞や雑誌で目にする中、
やっぱり、レジェンドってすごいなぁ・・・と、
自分がその記事の中にいるのが、不思議な感覚でいた。

そして、初めてのライブ。
確かに気持ちは高揚していた。それは否めない。
いつも、どこでも、ライブには全力投球だが、
言葉では言い表せない何かがそこにあった。
楽屋で、一緒に順番を待ってるのが、スタンリーとレニーなのだ。
確かに、チックコリアも、彼らと並ぶ、大御所のレジェンドだけれど、
チックは、昔から知っているので、
どこか一緒にいても落ち着く何かがあって、
今日のこれは、まったく違う何かであった。

ジャクソンビルという街に来た事は一度もない。
アメリカは広い。来た事のない街には、自分のファンは少ない。
つまり、アウェーの試合である。

レニーホワイトが、リング、いや、ステージに登場。
ものすごい歓声。
そして、私が、登場。
お客さんは、少し面食らっている。
「なんか、ちっこいの、出てきた」
というざわざわ感である。
なんせ、スタンリーが大きいのもあると思うけれど、
このトリオでは、私はいつも以上に小さく見える。
おいおい、大丈夫か?と人に心配されるような、
子供に見えるに違いない。
ざわざわ。
その中で、私の前に陣取ったアメリカ人5−6人が、
「We love you Hiromi!」と助け舟を出してくれる。
ありがとう・・・と思いながら、ピアノに座る。

そして、スタンリーが、ステージに登場。
大歓声。
すごいなぁ・・・培ってきたものが違うなぁ、と思いながら、
今、私、観客じゃないんだな、一緒にこれから演るんだな、
と思った瞬間、熱い気持ちがこみ上げてきた。
多分、背中に文字が浮き出るとしたら、
「闘魂」
と浮き出ただろう。

何かが、自分をブーストさせる感覚。
もう、止まれない感覚。
F1の車がアクセル全開で、スタート地点に立っている感覚。
両手にぺっぺっと唾を吐きたい感覚。それくらいの闘志。

そして、ライブスタート。
すごいドライブ感。スタンリーのベースがうねりを上げる。
それを、レニーが支える。
ライブレポートしている場合ではない。
私は、今、この中にいるんだ。

ここで、私はひとつ気づいた。
随分、CDのコンセプトと違う、という事。
スタンリーの、描きたい絵が
スタジオとライブでは、全く違うと いう事。
もしかしたら、毎回、方向性が違うのかもしれないけど、
今日は、明らかに違う、という事。
ジャズ・イン・ザ・ガーデンというより、
ジャズ・イン・ザ・バトルフィールドといった感じである。
そう来るなら、こう行っちゃうよ、とばかりに、
スタンリーのドライブ感に乗せられていく。
夢中でソロを弾き終わった瞬間、お客さんから聞こえた歓声。
そこからは、無我夢中でよく覚えていない。
途中、「ちょっとソロピアノ弾いて」とスタンリーに言われ、
弾き終わったら、お客さんが総立ちになって、拍手してくれた事と、
スタンリーが、親指をぐいっと立ててくれた、事は、
なんとなく覚えている。
多分、妄想ではないと思う。

ライブが終了して、お辞儀をしたら、
最初ざわざわしていたお客さんが皆、
「ヒロミー!」と声を上げて、みんな総立ちで拍手をしてくれた。
やりきった感覚だった。
「ちっこいの」の反乱は終わった。

アウェーのライブは好きだ。
普段、とても平和主義な私だが、音楽になると、
いかんせん挑戦的になる。
挑戦は大きければ大きい程、楽しい。
何度ぶつかろうが、何度ケガしようが、私は果敢に立ち向かいたい。
ライブで作ったかさぶたは、強い自分を作る。
ジャズ・イン・ザ・バトルフィールド。

翌日の自分のバンドのライブが、ボストンだったのは、
何かの因縁だろうか。
ステージに出てきた瞬間、お客さんが「おかえりー」と叫んでくれ、
ものすごく大きな拍手と感性に包まれ、
「まだ一音も弾いてないのに・・」と、
私はただただ感極まる事しかできなかった。
うんうん、帰ってきたよ。と。
アウェーからホームへ。
そして、その瞬間気づく。
自分をよく知っているこのお客さんの、自分へのハードルは、
アウェーのお客さん以上に、実は高いのだ、という事を。
感極まり出かかった涙が、引っ込む。

そうか、今日も、また挑戦なのだ、と。

1月6日

「HAPPY NEW MUSIC」

また、この場所に帰ってきた。
自分との戦いの原点の場所へ。

大晦日の夜、
1999年からデビューするまで通っていた
バークリー音大にあるコンサートホールで行われる、
NPR(アメリカの国営ラジオ放送)主催の、
全米ラジオ生中継ライブに、呼んでいただいた。

私の、昨年末のスケジュールは、
「よくがんばったなぁ」というより、「よくできたなぁ」と
自分で思う程だった。
24日のクリスマスイブに、「今年もあと8日ですね」
というコメントをテレビで聞いた時、
あと8日中、7本ライブがあるという事実に、驚いた。
浜松、名古屋、東京、仙台、東京のライブを終えた後、
30日にレコード大賞に参加させていただいた。
31日のボストンのライブが最初に決まっていた私は、
レコード大賞参加は、時差がなかったら、不可能だった。

今まで、時差ボケに散々悩まされてきた私だ。
前作のアルバムでは、時差ボケの曲まで書いた。
そして、今回、この強敵である「時差」がとうとう味方に着いた。
30日夜、レコード大賞を終え、
31日朝、日本を経ち、13時間のフライトの後、
あら、不思議。
アメリカは、また31日朝。

ボストンは、忘れもしない、スノーストームの街だ。
前々日から、飛行機が飛ぶか心配で、天気予報をチェックしていた。
そこには、堂々と居座る、憎らしい顔の雪マーク。
神頼みしかないと、神社に好天気のお参りに行きたいと思ったが、
これもこのスケジュールの中では、時間がなく、断念。
神様、仏様、うちのだるま、すべてのご利益がありそうな方々に、
出発前日、家でお祈りを捧げてみた。

しかし、神様は見ている。
私が、寺社仏閣に出向く時間がなかった事を知っている。

長時間フライト後、NY到着。
乗り継ぎ案内版を見る。
New York- Boston CANCELLED
フライトがキャンセル。
目を疑う。
ボストンはどうやら大雪らしい。
次々とボストン行きのフライトがキャンセルになっている。
キャンセルになっていないものもあるが、時間の問題だし、
それに賭けるのは、極めて危険な行為である。

ボストンには13時半に到着予定であった。
14時半にサウンドチェック。
19時45分にライブスタート。
今の時間は10時半。
さぁ、どうする。

今までの旅トラブルで培った全知識をフル活用させる。
飛行機は、雪と風に弱い。
その点、陸路には、雪のレベルにもよるが、まだチャンスがある。

電車しかない!

迷う事なく、タクシーで、45分程かけて、ペンシルバニア駅に向かう。
タクシーから、アムトラック(アメリカの新幹線)に電話をかけ、
チケットを予約。
12時の特急電車があるらしい。
これに乗り、順調に行けば、15時40分にはボストンに着く。
次は、プロモーターさんに電話。
サウンドチェックの14時半にはどうしても間に合わない旨を伝え、
時間変更を依頼し、16時に変更してもらう。

電車内では、気絶したように寝ていた。
途中起きて、窓の外を見て、驚いた。
真っ白な銀世界。
今の私には、雪景色を見て喜ぶ余裕は、ない。
通りかかった車掌さんに、ちゃんと時間通り着くのか聞く。
10分程遅れるけど、そんなに遅れない、との事。
ボストン到着。15時50分。
コンサート会場到着。16時。

なんとか間に合った。
安堵するプロモーター。
息つく暇もなく、サウンドチェック開始。
ここで問題児の私の相棒ノード君
(私がいつもピアノの上に乗せている赤いキーボード)から、
ストライキ発生。
電源を入れて、音を鳴らす。そうすると、いつもとは違う声を発する。
「きゅぅーきゅぅー」
まるで、もう疲れたよー、嫌だー、寝るーと言っているようだ。
その数秒後、いきなり電源が切れた。
その昔、ベルンでヒューズが飛んだときの悪夢がよみがえる。
ヒューズを確認。飛んでいない。
まずい。中身だ。基盤がだめになってしまった。
夏からほぼノンストップの過酷な労働に対するストライキだろう。

エンジニアの人に頼んで、中身を確認してもらう。
「ノード君。今年最後のライブなんだよ!?
ここまではるばる来たんじゃないの!?
あと1公演くらい、気合いで頑張れ!努力、根性、気合いだよ!」
必死の私の願いがノード君に届き、
(というより、優秀なエンジニアの技術により)、
ノード君が息を吹き返す。
「おぉ!電源がついた!」
みんなで喜ぶ。
さすが、私の相棒。ただで転んでしまっては困るのである。

そんなこんなで、気づいたら、17時半。
開場が18時。
夕飯を食べ、ステージに備える。

この日のライブは、2セット。
20時からの回と、21時半からの回。
火事場の馬鹿力とはこの事で、
24時間の移動の疲れが嘘のように、ライブに集中できた。
21時半からの回の時ようやく、
ここバークリーに戻ってきて、
プロとして演奏している事を、エモーショナルに感じ取る事ができた。

ここで初めて自分のライブをしたのは、7年前。
まだ、学生だった時だ。
その時、ライブで1曲目に弾いた曲が、
「トムとジェリー」だった。
いろいろ思い出したら、急に、その曲が弾きたくなり、
急遽演奏する事を決めた。
「トムとジェリー」は、楽しいはつらつとした曲で、
涙を浮かべるような曲ではない。
だけれど、今回この曲を弾いた時、いろいろな思いがかけめぐって、
感情的になってしまった。

学生の時、世界でライブする生活を夢見て、
ここで演奏した事。
はじめて、ここで演奏した時、
「ここがスタートだ、やるぞ!」と、鼻を膨らませて心に誓った事。
自分との戦いの原点。
あれから、様々な戦いを経て、私は、原点の舞台に戻った。
これだけ大変な旅をして、来た甲斐があった。
私の心が得たものは、大きい。

演奏が終わり、ホテルに到着。
全体力と全精神力を使い切った私は、
隣の公園でせめてカウントダウンだけでも、と思い、
ぐったりエレベーターに乗っていたら、12時になった。
エレベーターの扉が開いたら、
ホテルマンが「A Happy New Year!」と言った。

今年も、新しい扉を、果敢に開けていきたい。
ドアが開く度、HAPPY NEW MUSICが待ち受けているのだから。

A HAPPY NEW YEAR AND MUSIC FOR ALL MUSIC LOVERS!!

2008
10月13日

「ほこり」

今年は、移動距離で言うと、
おそらく自分のツアー史上、一番マイレージを得ていると思われる。
南は南アフリカ、北はノルウェーまで行った。

南アフリカでは、行きの飛行機で隣に座った、
同じくジャズフェスに向かう途中だった陽気なアフリカ人のお客さんに、
Are you Hiromi?と聞かれ、
Yesと答えると、後ろに座っている友達らしき人に、
「ヒロミの隣に座っちゃったよー!」と興奮気味に話しかけていた。
写真を撮ってほしいと言われ、
24時間程の過酷な移動の後だったので、
私は、弱った虫のような顔をしていて、
さらに、たまねぎのような髪型だった。
が、潔くあきらめ、写真を撮った。
その人から、この間ファンメールが来て、
ひろみの写真をデスクに飾ってあるよ、ありがとう。との事だった。
アフリカ大陸のどこかに、たまねぎ虫が貼ってあるのか・・・、
と後悔の念も残るが、これもまた人生である。

ノルウェーでは、バーセという北極圏に近い町に行き、
そこに日本人が来るのが相当珍しかったらしく、
演奏終了後に、地元のテレビ局が来て、
「番組でフェスティバルを盛り上げたいので取材をしたい」
と頼んできた。
快くオーケーしたが、そのロケ地は、なんとタラバガニ漁だった。
地元の人が、最大のもてなしをしている所をテレビに撮り、
私がタラバガニを手に持ちながら、
フェスの感想を語るという、今になって冷静に考えると、
とても変なシチュエーションだった。
演奏終了後、直で、船に移動したので、
疲れで、あまり考える余裕もなく、
気づいたら、カニを手に持ち、インタビューに答え、
気づいたら、カニが茹でられ、
気づいたら、茹でたてのカニを食べていた。

年中時差ボケのような生活は、今日もまだ続いている。
こんな生活を続けていれば、
大抵の事には驚かないだろう、と思われるかもしれないが、
世の中には奇想天外な事が常に待ち受けている。

今はシカゴ。
1947年にオープンした、老舗のクラブで、4日間の演奏。
シカゴで演奏するのは、デビューした年に1公演して以来、初めてだ。
クラブの創立者のジョーは、82歳。
「ライブに勝る音楽はない」が口癖だ。
店内中に飾られたポスターや写真は、レジェンドのものばかりで、
当時のものすごいラインナップが伺える。

着いて、サウンドチェックをした。
まず、モニターがない。
モニターというのは、
私のように音量の大きめの電子楽器を使った音楽をやるバンドが、
ひとつひとつの楽器の音がよく聞こえるように、
各自与えられるスピーカーなのだが、
それがない。

レンタル会社からは、キーボード達が届いていた。
普通は、クラブにエンジニアさんがいて、
それが全部繋がって音が出る状態から、サウンドチェックを始めるのだが、
エンジニアさんが見当たらない。
いるのは、ジョーと息子の現オーナーであるウェイン、 そして、もうひとり、チャックという人。
私は、チャックがきっとエンジニアだろうとタカをくくり、
話をしていると、どうにも専門用語が通じない。
結局、レンタル会社の人を呼び戻し、
手伝ってもらうという事になり、待つ事になった。

開演時間は8時だ。7時50分になっても、エンジニアの人は来ない。
焦るウェイン。
様子を見に行ってみたら、
ウェインの友達っぽい人が、キーボードから出ているケーブルを
ステージ上で持って、右往左往している。
どこにケーブル繋げばいいの?と聞いている。
返答できる人間はいない。
どうやら、このクラブは、ピアノをハウススピーカーに繋ぐか、
ギターをアンプに使うくらいしか、
生音以外で音楽をやった事がないらしい。
そこに、私とフューズが来たら、もうペリー来航のようなものである。

ステージで、右往左往するウェインの友人は、
なんとフォトグラファーだった。
私が最初にエンジニアだと思ったチャックは、
ドアのチケット切りのおじさんだった。
というわけで、あとがない状態になった。
いろいろ考えて、二つあるギターアンプを、 ひとつ、キーボードに繋ぐことにした。
時間は、すで8時10分。
7時開場なので、当然お客さんもすでに座っていらっしゃる。

体裁を考えていても、始まらないので、
私はギターアンプをピアノ側に、よっこらしょと運び、
コードをピアノ後ろの電源に繋いだり、
ケーブル接続の配線をするために、ピアノの下にもぐった。
ステージ衣装で、だ。
お客さんの前で、ピアノの下をステージ衣装で徘徊したのは、 人生初めてだ。
このピアノの下というのが、なかなかほこりっぽくて、
くしゃみが出る。

「見ての通り、いろいろ問題があるので、10分ほど待ってください」と、
ステージからマイクなしで、私が声を張り上げる。
お客さんは笑っている。
ステージ上をハイハイしつづける私は、相当面白かっただっただろう。
でも、これもお客さんに、今出来る最大限の状態で、
音楽を届けるためである。
キーボードをギターアンプに繋げ、なんとか音がでる状況まで持っていけた。
これで、とりあえずお客さんには、
ピアノ、キーボード、ベース、ギター、ドラムのすべての音が、
ちゃんと聞こえる状態になった。
モニターがないので、自分たちに、音はよく聞こえない。
あとは、最終手段。
いつもの半分くらいの音量で演奏する事によって、
音を、自分たちにも聞こえるようにする、という事だ。
小さな音量で、エネルギーレベルはいつものように保つというのは、
細心の注意力と集中力が必要だ。
でも、もうそれしかないので、やり遂げるしかなかった。
いつもと違うアプローチでの演奏が始まった。

面白い!

なるほど。こういうアプローチになると、こういう展開もあるのか、と。
自分の演奏や、曲の広がりの、違った可能性に気づかされる。
1曲目が終了。お客さんは、大盛り上がり。
よし。

もう、ステ−ジ衣装で、ほこりをかぶった私に、何も失うものはない。
今持ってるすべてで演奏し続けるしかないのだ。
こうして、お客さんは、とても喜んで、一日目が終わった。
二日目には、小さいながらに、モニタリングシステムが導入されたが、
エンジニアさんがいない事には変わらないので、
ピアノの右足もとに、サウンドをコントロールする小さな箱を置き、
それを曲と曲の間に、みんなに、もうちょっとピアノあげて、と言われれば、
私が上げるという状況で、ピアニスト兼モニターエンジニアという
初めての職をこなしながら、演奏を続ける。

今までも、アップライトしかなかったり、
一番ひどかった時は、ピアノがなかったり、
備えあれば憂いなしの国、日本では考えられないような状況に、
何度も巻き込まれてきた。
が、あきらめた事は一度もない。
そこに来てくれたお客さんに、こういった様々な原因は、全く関係ないからだ。
あきらめたら、そこで試合終了とは、まさにこの事だ。
その度に、私は強くなっていく気がする。
どんなトラブルでも、そこで何かを学ぶ。

契約には、「すべての機材がそろっている事」というのが大前提事項としてある。
つまり、相手のクラブやコンサートのプロモーターが、
これを守らなかった場合、
(このクラブのように、初めての事なので、気づかなかっただけ、としても)
私には、「コンサートをしなくていい権利」というものが生まれる。
今までも、何度か「やめたら、どうか」と事務所の人間やバンドに言われてきたが、
でも、私は、この権利を行使した事は、今まで一度もない。
ほんとに、今日お客さんを笑顔にする事が不可能なのか、 自分を試したいからだ。
いや、単に往生際が悪いだけかもしれない。

もちろん、最高のピアノで演奏できるのは、この上ない幸せだし、
お客さんに、最高のクオリティーで音楽を届ける事ができる。
でも、それが叶う場所ばかりではない。
ピアノの下に潜って、配線をする事も、
やって失うものなんて、自分のプライドだけだ。
演奏をする誇りは持ち続けるべきだが、変なプライドはいらない。
9回裏、ツーアウトツーストライクのような状態でも、
逆転満塁サヨナラホームランを信じて、
全力投球するしかないのだ。

ほこりをかぶって、誇りを守る。
だじゃれのようになったが、まさにそのままだった。
小さな日本人は、大きな世界で、
時には無駄にさえ見えそうな抵抗を、し続ける。

ただ、その日、演奏がしたいから。

4月30日

「横綱と十両」

2008年4月30日、武道館。
あんなにたくさんの人を目の前にしたのは生まれて初めてだった。

何か不思議と周りがそわそわしていた。
いよいよ武道館なのだ、と。
やはり、「武道館でやる」というのは、一大事なのだと、思い知らされる。
私にとって、それが50人の場所であろうと、
5000人の場所であろうと、
気持ちは常に同じでいようと心がけている。
すべてのコンサートは一期一会。
50人の場所だから、準備を怠ったり、
5000人の場所だから、より準備をしたりする事はない。
いつも、どこでも、ベストを尽くせなければ、その瞬間がもったいない。
語りかける相手は、ひとりひとりだからだ。

今回、武道館をやる事が決まってから、
同じ質問を何度かされた。

「自分が武道館の舞台に立つと思いましたか?」

私自身、「ひとつでも多くのライブを!」という気持ちはあっても、
「どこどこの舞台に立ちたい」という欲望が、全くないので、
正直、考えた事もなかった。
私にとって武道館といえば、法政大学の入学式の会場で、
大学生になって大人ぶりたかった私は、
初めて10cm近いヒールを履いて、入学式に出かけ、
足が靴ずれだらけになり、靴を履いて歩けなくなって、
武道館から市ヶ谷の校舎まで、
泣く泣く裸足で歩いた思い出しかなかった。

やけに緊張している家族。
今までなかった量の友達からの激励メール。
それで私は、武道館という場所の持つ「何か」を感じた。
1月に武道館ライブが決まってからと言うもの、
何かあれば武道館の話題だった。
私の前には、まだスイス、香港、カナダ、南アフリカ、アメリカ西海岸と
たくさんのライブが目の前にあり、
そのひとつひとつに目標を定めなければ、そこの人達に失礼なので、
正直武道館の事は考えないように、逆に暗示をかけていた。
西海岸ツアーが終わり、
やっと武道館の事について考えられるようになった。
チックと曲の相談をして、どうやったらいいライブになるか、と考えた。
とはいっても、ほとんどがインプロビゼーションなので、
特にこれといって準備できる事はないので、
いわゆる、千本ノック的な基本練習をする。

前日。
友達からの激励メールが増える。
「いよいよだね」とか、「がんばって」。
周りの興奮と緊張に包まれる。

当日。
武道館到着。
だぁーっと大きく広がる会場に、2台のピアノ。
ピアノがこんなに小さく見えたのは初めてだった。
会場のすべての階からの見え方をチェック。
どこから見ても小さいピアノ。
あれだけ小さなボディの中に、秘めた可能性はすごい。
その可能性をどれだけ引き出せるか、いや、弾き出せるかの、
実験が行われようとしているようだった。

チック会場入り。
最近どう?と、会話をするのも束の間、
それからすぐ2時間くらい演奏し、気持ちを同じ地点に合わせる。
ミュージシャンと久しぶりに会うというのはいつも不思議で、
少し演奏している間に、
なんとなく最近のその人がどんな気分かがわかる。
チックは、ご機嫌だった。
本番でやる以外の曲も遊んで弾くくらい盛り上がってリハが終わった。

そして本番。
ステージのそれぞれの両端にチックと私がスタンバイする。
そして、ステージへ。

想像を絶する人の数。

その時、やっとわかった。
どうして、みんながあれだけ緊張していたのか。
激励メールを送ってきたのか。
そう。謎は解けた。

人のエネルギーにかなうものは、世の中に存在するのだろうか。
たくさんの笑顔が見える。
その人達を見た瞬間、涙腺がゆるんだ。
ありがとう。ありがとう。と何度もつぶやいた。
GW前で、仕事を片付けなきゃいけないこの日に、
仕事を早く切り上げて来てくださった方も多いだろう。
中には、またコンサート後に仕事に戻る人もいるだろう。
あの数の人の発するエネルギーは本当に想像を絶する。
くらくらしそうなくらい、まぶしい光がそこにあった。

本番は、その光に守られながら、
こめかみが筋肉痛になるくらいの集中力を用いた2時間だった。
途中、チックが私の隣に来て、連弾になる瞬間があった。
その時、17歳の時の映像が自分の頭の中によぎった。

懐かしい感覚。

あれから12年。

まさか、12年後に、武道館でピアノ2台で演奏する事になるとは、
思いもしなかった。
そして、チックは12年前にやったのと同じように、
私をひとりピアノに残し、ピアノの周りを歩いて行った。
チックは、覚えていないだろうが、
12年前にも、チックはいきなり立ち上がって、
「ヒロミ!ソロ!」と言って、
タンバリンを叩きながら、ピアノを周りを歩いて行った。
私は、いきなりひとりになって、わけもわからず、
必死で弾いていた記憶がある。
今回は、周りを歩いていくチックを見て楽しんで演奏が出来て、
12年やっていて良かった、と心底思う事ができた。

もちろんまだまだ無我夢中だ。
なんてったって、しょせんは若造。
60代の大御所と同じ余裕は、皆無。
それもまた勉強。
でも、12年前よりは少し余裕がある。
ひとまわり分の成長を自分なりに感じる事ができた。

この「余裕の差」が、
私とチックのデュエットの一番の面白さなのかもしれない。
ドーンと構えた横綱チックと、
ひたすら食らいついていく十両ひろみ。
横綱同士でも、十両同士でも創りだす事のできない調和がそこにある。
音楽のキャリアはきっと相撲の番付みたいで、
私は、12年前は関取ではなかったのだろう。
やっと十両まで来た。
もちろん、誰でも大関横綱になれるわけではないけれど。
一歩一歩だ。
次は、「前頭」まで進めますように。

武道館パワーは大きい。
終わってからも、しばらくぼーっとして、
あの「光」の感触を思い出していた。
余韻にひたっていたいところだが、
十両にそんな贅沢は許されない。
次の日、アゾレス諸島のファイアル島という、
大西洋の真ん中に浮かぶポルトガルの島で演奏するために、
30時間近い旅に出た。
武道館の公演後、洗濯をし、パッキングをし、
その瞬間に、武道館の余韻はすべてリセットして、
アゾレスの島で待つ人達のために、
全身全霊を捧げた。
そして、今は飛んでイスタンブールにいる。
今日もライブ。
十両の挑戦は続く。

2007
12月26日

「ありがとオスカー」

大好きなオスカーピーターソンが、亡くなった。
足が不自由になろうとも、ツアーをし続け、
手が不自由になろうとも、リハビリをして、
右手が動くようになったら、ギタリストを起用し、
カルテットでライブをし続けた。
音楽へのこの上ない愛情から、
彼が踏みとどまる事はなかった。

イブの晩に訃報を聞き、
最初、実感が湧かなかった。
翌日、テレビやネットでニュースを見ても、
まだ、実感が湧かなかった。
24時間以上経った今、
急に涙が溢れてきた。
2001年に、ノーマン・グランツが、
2002年に、レイ・ブラウンが、
2005年に、ニール・ペデルセンが、 オスカーの盟友が亡くなるたび、オスカーは、
みんな向こうで仲良くやってるさ、と言っていた。
そして、今年、とうとうオスカーが逝ってしまった。

あまりのショックに、哀しみを実感するのに、時間がかかった。
ふとオスカーとの写真を見ていた。
そうしたら、走馬灯のように、オスカーとの思い出がよみがえり、
涙が止まらなくなった。

すごい人だった。
ピアノがこんなに喜ぶものか、と思った。
なんて、明るく楽しいピアノだろう。
なんて、聞いてる人の心を躍らせるのだろう。

最後に会ったのは、去年の8月。
ニューヨークのバードランドでのライブを見に行った時だ。
久しぶりだね、とハグをした。
冗談をいいながら、笑い合っていた。
ほんの1年半前の事だ。
あれが、最後になるなんて、思わなかった。

私は、28年しか生きてないにも関わらず、
自分の大の憧れの人と会って、これだけ交流できた奇跡に、
心から感謝すべきだ。
ほんとに、ただただラッキーだった。

オスカーの家で、シナトラやエラの話をずーっと聞いた事。
コップをたたいて、絶対音感のテストをした事。
人生初めてのレコーディングの前に激励を受けた事。
カナダで子供達にセミナーをしていたら、
オスカーがいきなりサプライズで現れて、
あのオスカーの前で、即興演奏について講座をする羽目になり、
冷や汗をかいた事。
そして、2004年にオスカーの日本公演の前座をやらせていただいて、
初めてステージの袖から、オスカーの背中を見つめ、演奏を聞き、
涙が止まらなかった事。
オスカーの演奏が終わった時、前座の私までステージに呼んでくださり、
一緒にステージに立ってお辞儀をした時、
感動で、足の震えが止まらず、視界はにじんで、何が何だかわからな
かった事。

ずっと忘れない。
彼のピアノは永遠に私の、そして人々の心を打ち続ける。
オスカー・ピーターソンは永遠だ。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
音楽を通じて人と繋がる事を愛し続けた人生に。
本当にありがとう。

7月10日

「そこにピアノがあるから」

今回のツアーは、自分史上、最長移動距離だった。
アメリカーイギリスーカナダースペインースイスーイタリアを、
2週間半で回った。
時差ぼけはもちろん、
終演時間が遅いにも関わらず、移動時間が早朝だったりして、
ここで1時間、移動で2時間みたいな、こまぎれ睡眠を繰り返した。
いろんな国で、いろんな文化に触れ、
毎日たくさんの笑顔に出逢ったが、
最後のイタリア公演は、思い出深い場所となった。

最後の公演は、ナポリ近くのサレルノという街で行われた。
前の日に公演のあった、サンテルピディオから、
ローマ経由で、電車で6時間かけて、イタリアを縦断。
到着すると、そこは海。
太平洋沿いの浜松で育った私には、たまらない環境だ。
潮の香りがすると、とても懐かしい気持ちになる。
来た事もない街で、懐かしい気持ちになるのは、いつでも不思議だ。

翌日、朝の10時にサレルノのプロモーターと、
演奏当日のスケジュールを簡単に話し合うミーティングがある予定だった。
連日の移動の疲れ&時差ぼけから疲れきっていたが、
なんとか寝ぼけまなこで、ロビーに向かう。
そこで、私が見たものは・・・。
テレビカメラと、新聞記者達総勢10名程である。

「取材があるなんて、聞いていないけど?」
「ははは」とただ笑うプロモーター。
とりあえず、撮影は無しにして、と交渉するが、
英語がほとんど話せないプロモーターには、なかなか通じない。
目を離すと、こっそり撮っているテレビカメラ。
仕方ないので、部屋に戻り、着替え、メイクをして、
また戻ったら、なんとテレビカメラが4台に増えていた。
良かった・・・。着替えて良かった・・・。
部屋着&スッピン&寝ぼけ眼のどうしようもない状態で、
イタリアのテレビに出る所だった。
危機一髪。

最初の質問は、
「なぜ、あなたははるばるこの街まで来てくれたの?」
であった。

確かに、別に大スターでも何でもないのに、
テレビが4台、新聞記者10人は、おかしい。
どうやら、私は、アメリカからはるばるアーティストが来ることなど、
ほとんどないような場所にいるらしい。
考えてみれば、ホテルに英語を話す従業員は一人しかいないし、
その一人も、かなりのカタコトであった。
インターネットを繋ごうと思ったら、
ネットケーブルが、なんとホテルにたったの1本しかないという事態もあり、
バンドで1本をシェアして使った。
おかしいフシはたくさんある。

私は、登山家のように
「そこにピアノがあるから」と答えた。
どんな街かというインプットも全くないまま、この街に来て、
こんな扱いを受けるとは思いもしなかったが、
なんで来たかと聞かれたら、「演奏できるから」ピリオドである。
記者の人に、何度も「この街に来てくれて、ありがとう」と言われ、
取材は終了。
プロモーターの人に、会場のおおまかな立地を聞くと、
ホテルから見えるというので、外に出て、見てみる。
「あれだよ」

!!!

指差された先には、なんとお城。
「お城の上でやるんだよ」
このお城は、なんでも11世紀からあるらしい。
まさに、タイムトラベルである。
お城の上での演奏・・・。
その瞬間に、不安がよぎる。
ちゃんとした、サウンドシステムはあるのだろうか。
サウンドをきちんとできる人はいるのだろうか・・・。

不安を抱えながら、サウンドチェックに行くと、
大体いつも、その不安は的中する。
ケーブルはない、モニターは壊れてる、
ジャカルタ以来の散々な状況である。
かろうじて、ピアノはあった。これまた、ひどい状況。
炎天下の中、カバーもしてない。可愛そうに。
暑くて、これでは、ピアノもゆだってしまう。

時間はどんどん演奏時間に迫ってきても、
まだケーブルがなかったりする。
ここでは、かなり「悪い人」にならなければならない。
何度も何度も、声を荒げて、やっと要求が通るのが、
こういう場所だ。
みんな、あまり経験がないのか、あたふたしている。
誰かが、仕切らなければならない。
結果、現場監督を、私が仕切る形になる。
モニターから音が聞こえる状態に、やっとなり、
なんとかサウンドチェックをギリギリの状態で切り上げる。
そして、本番。

お城に人が集まる。
私は、この、どうやらあまりイベントなどない街に来て、
お城の上で演奏するのだ。
なぜ、私は今、このお城の上にいるのか?
答えは、また同じ。
「そこにピアノがあるから」

演奏が始まる。
ライトアップされた、お城。
11世紀からあるこの場所で、演奏する。
「TIME TRAVEL」という曲を演奏した時、
今まで受けた事の無いレベルのインスピレーションが、自分の心を打撃した。
昔も、ここできっと、様々な会合が行われていたに違いない。
時には舞台なんかも行われていたかもしれない。

目の前には、教会、
見上げれば、星空。
耳を澄ませば、波の音。
そして、街の人。

演奏を開始。
これだけ小さな街で、ほとんどコンサートなども行われない場所だと、
お客さんは、ほとんどジャズを耳にする事もない。
しかも、なんとなく雰囲気で「ジャズ」というものを理解しているお客さん達にとって、
「ジャズコンサート」という名目で一応掲げられているコンサートに来て、
私の音楽を聴くと、宇宙人に襲撃されたような感じになる。
いきなり、宇宙人が、お城の上に降りて来て、
何やら演奏を始めたが、
これは、今まで見た事も、聞いた事もないような、ものである。
会場全体が、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしている。
1曲目が終わって、会場がひとつになるいつもの感覚とはほど遠い。
終わった瞬間は、「いきなり宇宙人にさらわれた」ような顔をしている。
目がバッテン、口はあんぐり。

とりあえず、メンバー紹介をしてみるが、みんな口が開いている。
そして、プログラムは進む。
前の方の、若い衆(あえてこう呼ばせてもらいたい)が、
体を揺すって、乗っている。
曲が終わると、ヒューと歓声もあげてくれて、
彼らは、こういう音楽も、親しみがあるのかな、と思っていた。
しかし、そんな考えは甘かった。
ソロ曲を演奏しだした時だった。
この若い衆が、とんでもないところで、手拍子を始めた。
えー!
もう、心は、えー!?で一杯である。

手拍子を好意でしてくれている人達に、敵意のまなざしを送るか、
この手拍子をうまく利用するか、ふたつにひとつである。
私は、後者を選択。
宇宙人と地球人が和解するには、これしかない。
手拍子にうまく合わせながら、おもしろいプレイが生まれる。
終わったら、「BRAVA!」と歓声が飛び、大きな拍手。
宇宙人と地球人の間に、友好条約が結ばれる。
そして、その次に、後の3人の宇宙人が戻ってきて、演奏しても、
この友好条約は保たれ、
コンサート終了後には、スタンディングオーベーションとなった。

11世紀のお城での戦い。
いろいろな戦いがこのお城で行われただろうが、
1000年後に、このような戦いが行われるとは、
当時の兵士も思っていなかっただろう。
小さな日本人が、この街に来て、お城で、ピアノを武器に、戦う。
振り返ってみれば、サウンドは最悪、プロモーターは英語ができず、
機材もそろわず、散々だったが、大きなものを得た。
やっぱり、諦めたら終わりです。
どこでも、ギリギリまで頑張らなきゃいけない。
この人達とは、もう一生逢う事はないかもしれない。
だったらせめて、
「今日は彼女の演奏のおかげで、いい日になったなぁ」
と思えるような日を、創り出したい。
お城のふちに座って、海を眺めて、
「はるばる、ここまで来たなぁ・・・」と思っていると、
初老のおじさんが話しかけて来た。
「君を見るのは3回目だ。君の事が大好きだ」
とカタコトの英語で言ってくれた。
「一度目は、オルビェト、二度目は、ペルージャ、そして、
とうとう僕の街まで来てくれたね」と。
オルビェトは、私がプロになって、初めてライブをした場所だ。
2002年12月。アマッドジャマルの前座を努めた。
彼は、きっと、アマッドのファンだったに違いない。
そこで、私を見つけてくれて、5年経っても、私を見に来てくれた。
このおじさんに恩返しをする意味でも、ここに来れて良かったと思った。
こういった出逢いがあるから、また旅は続く。
そして、また海を渡る。
そこにピアノがあるから

4月22日

「西と東、ライオンとウマ」

ロサンザルスに来た。久しぶりの西海岸だ。
アメリカは広い。日本はアメリカのテキサス州より小さいというのだから、
どれくらい広いかは、想像がつくと思う。
西海岸と東海岸は違う国と言っても過言ではない。
比較的1年中暖かい西海岸と、極寒になる東海岸では、
もちろんファッショントレンドも違うし、流行る音楽も違えば、生活様式も違う。
どちらかというと、東では、今まで聞いた事の無いような実験的な音楽が主流で、
西では、もっと聞きやすい音楽が主流となる。
気候と、車、このふたつが原因だと思う。
ロスでは移動手段が、ほとんど車である。
1年中暖かいロスで、窓を全開にした車で音楽をかけながら運転する時に、
人が聞きたい音楽は、実験的な音楽ではない。(まれにそういう人もいるけれど)
渋滞になっても、イライラしないような、気分爽快なスムースな音楽だ。
西の音楽は明るく、東の音楽はダーク。
私の音楽は、やはり東寄りになっている。

そんな私がロスに来た。
東海岸ではだいぶ固定のお客さんもついてきたけれど、
西海岸では、まだまだ、「ひろみって誰?」である。
今回は、4日間のクラブでの演奏。
初めてのロスでの長丁場である。
誰が見に来るのだろう?と首をかしげながら、クラブに入る。
ロスは場所的に、一番私の音楽が受け入れられにくい場所だから。

一日目。お客さんの入りは半分くらいだろうか。
空席が目立つなかでの演奏。
今までの、「空席との戦い」No.1は、2年半くらい前のナシュビルで、
500人くらいのシアターに、14人だった。
経験は人間を育てる。486人の空席を経験している私には、
こんなのお茶の子さいさいだ。
だって、それはマイナス486ではなくて、プラス14。
発想の転換である。
ここに来たお客さんをとにかくハッピーにする事に、集中する。
とりあえずこれが私の出したい料理なんで、食べてください、と
いつも通りの、西の人曰く、「変態的な」演奏をする。
予想に反して、来てくれたお客さんは大喜びで、
みんなスタンディングオーベーションをしてくれた。
ヨシ。

時々思う。
日本に住んでる時は、私はいってみれば草食動物だった。
生えている草を食べ、周りと争う事のない、穏やかなウマ。
大体、人とケンカをした事など一度もなかった。
あまり怒らない性格だし、自分が悪くなくて謝るのも、全然苦痛ではなかった。
しかし、この国に来て、ウマは肉食動物に食べられてしまう、と知った。
アメリカでビジネスをするという事は、ライオンでない限り、
やっていけないのだ。
戦う事は常日頃。
どうぞどうぞ、と譲っていたり、悪くもないのに、すみませんと謝ったりと、
日本式なやり方をしていたら、私は毎日ピアノを弾けない。
何かがうまくいかなかったら、徹底的に誰かを糾弾しないとならない。
私は、そのやり方が好きだろうか?はっきり言って好きではない。
でも、それがアメリカで仕事をするという事なのだ。

ほんとに相変わらず、この国では、日本では考えられないトラブルが多い。
しかも、どんなに相手に非があっても、謝らないケースが多い。
こっちも自分の必要なものをゲットしなければいけないので、
強気にならないといけない。ウマは食べられる。
今まで、ウマでいて、何かをゲットできた確率は、2%。
ライオンで、何かをゲットできた確率は、100%だ。
ライオンになるには、声はかなり低めに設定し、
電話でなく、直接交渉の時は、顔を見られると子供だと思われるので、
髪を貞子のように前に足らし、日本が誇るホラー映画キャラクターでの勝負だ。
ボクシングのチーンというベルが、頭の中で鳴り響く。
ライオン登場なのだ。

謝ったら負け。
悪くもないのに「すみません」という文化で育った私には、
本当にカルチャーショックな毎日だ。

毎日ライオンになって、私は何を得たいのか。
どんな理不尽な事が、旅で、クラブで起ころうとも、
それを演奏に反映させたら、今度はピアニストとして失格だ。
完全にマインドをフラットにしなくてはならない。
深呼吸をして、ネガティブな気持ちをすべて殺す。
そう。私が得たい物はただひとつ。
いい演奏でお客さんの笑顔を見る事。
だから、こういう嫌な事が続いた日に、
お客さんがものすごい笑顔になってるのをみると、
心から報われる。ありがたい笑顔だ。
笑う門には福来るのだ。

西海岸で1日目に半分だった会場。
一日目に来たお客さんが、自分のブログで宣伝してくれたり、
毎日違う友達を連れて来てくれたり、
ロスのコミュニティーサイトに書き込みをしてくれたりして、
毎日毎日、繁殖するように人が増えていった。
そして、最終日ソールドアウトになった。
見に来てくれたお客さんが、そこまで情熱をもって、
人に自分のライブを薦めてくれた事が心から嬉しかった。
何度も戻ってきてくれたお客さんもいれば、
日本のテレビをこっちで見て、来てくれた日本人のお客さん、
バンコクで私を見てくれて、お友達を連れてきてくれた人、
いろんな人の愛情に支えられた。
ありがたや、ありがたや。
本当にそう思った。
西海岸にホームができた。
今度来るときも、絶対来るからね!と言ってくれる人が、
たくさん増えた。

最終日、満面の笑みで総立ちのお客さんを見て、
ライオンで居続ける意味を見つけた。

サンフランシスコ空港に向かおうとした今朝、
タクシーが45分来なかった。危うくフライトに間に合わない所だった。
タクシー会社にライオンが抗議の電話を入れたら、20ドルもまけてくれた。
前世がウマだったライオンは、あまりこういった勝負に勝つ事はないけれど、
時々ラッキーになる。
今日は、このライオンの勲章20ドルで、豪華にタイ料理でも食べて、
明日からのブルーノートNY1週間公演に気合いを入れるとしよう。

2月22日

「Thank you for making me feel home」

ベルン公演が、1時間前に終わった。
ベルンに来るのは、3回目。
今回、ここで、3ヶ月におけるさなぎ期間から、やっと待望の羽化ができた。
さなぎ期間は、今までも何度も経験しているけれど、
それにぶつかる度、私は、いらだちと共に興奮を覚える。
これを乗り越えたら、また弾いた事のない事が弾けるからだ。
壁が来る度に思う。
「かかってこい、I am ready to fight。」
今回も、ベルンで、自分で弾いた事のない世界がたくさん見えた。
だから、壁はやめられない。どんどんかかってきてほしいものである。
言ってみれば、私は、壁マニアなのだ。
2年前、初めてこの街に来た時の事は忘れない。
ここのクラブの年齢層は、非常に高く、
おじいちゃんおばあちゃんの寄合所のような役目も果たしている。
みんな、いわゆる伝統的なジャズを聞く予定で、この場所にやってくる。
そんな場所で3年前、
ピアノの上に、変な赤いものを乗せて演奏する輩がいる。
でも、その時感じたのは、否定や拒絶ではなかった。
いきなり訪問販売が来て、何やら無理矢理買わせられたが、
使ってみたら、なかなかいいじゃないの、コレ、という感じであった。
開いた口が塞がらないおじいちゃんや、
なんだかわからないけど、顔が紅潮しているおばあちゃん。
いつの間にか頭をブンブン振っているおじさんが溢れていた。
当時、私の事を知っている人は、ベルンにひとりくらいしかいなくて、
50%入れば上出来、という感じだった。
そして、今回。ベルンに到着して、驚きのニュースを聞いた。
「1週間、ファーストセットは全部ソールドアウトしてます。
セカンドも当日で、ソールドアウトになるね。」
とクラブの人に告げられたのだ。
開演時間になると、お客さんが、叫びだす。
若い人だけではなくてだ。
おじいちゃんおばあちゃん、おじさんおばさんが、である。
演奏が終わった頃には、会場全体の火照り具合がすごいのだ。
リピーターが驚く程多い。週に2−3回、同じ顔を見る。毎日来る人もいる。
同じ人を同じ曲で喜ばせるという使命で、ハードルも高くなる。
でも、そんな緊張感が、また自分を奮い立たす。
「孫と一緒に来れるコンサートがあるとは思わなかった」と言うおじいちゃん。
「息子と最近会話をしなくなってたんだけど、ひろみの事を話すと盛り上がるから、
息子とまた仲良くなれたのよ。ありがとう!」というおばさん。
「この1週間は、私にとって、1年で一度のビッグイベントなんだよ。
これを楽しみに、また1年頑張れるんだよ。
私のミュージックエンジェルがまた舞い降りてくるのを待ってるんだよ」
というおじさん。
幸せだなぁ・・・。
心が毎日うれし泣き。
人の笑顔を見て、泣ける。
これ以上の毎日があるだろうか。
ベルンのクラブはスマイルだらけだった。
みんな、今年も待ってたよ!ってにこにこ見守るスマイルだった。
初めて海外で「ただいま」と思えた事が、うれしくてならなかった。
そんな時、MCで自然に出た言葉。
「Thank you for making me feel home」
やっぱりそうだ。
開かないドアはない。
希望から、確信に変わった瞬間だった。
そして、旅は続く。大好きな笑顔を探して。

1月22日

「果てしない旅」

小さい頃ピアノを始めた時、
なんとなく海外公演を夢見ていたとは言え、
1年に地球を何周もする生活をする事になるとは、
想像もできなかった。
そして、今日私はイスタンブールにいる。

ここのところ私は、「さなぎ期間」にいる。
自分から出て来る音に、全く満足しないという日々が、
ずっと続いているという事だ。
人間というのは贅沢で、山を登っていて、絶景ポイントに遭遇しても、
そこにずっといたら、その景色にも慣れてしまい、
さらなる絶景ポイントを探さないと満足できない。
「ピアノと私の倦怠期」。
お客さんが私の演奏を1年に多くて数回しか聞かないとしても、
私は、1年に何百回と自分の演奏を聞いているのだから、
当たり前である。

この期間の、自分に対する不満っぷりといえばなかなかのもので、
終わってから、楽屋の壁を蹴ったり、
ホテルの部屋に戻ってから、まくらを壁に投げたりする行動が見受けられる。

ここイスタンブールでも、
毎日、終わってするお辞儀は「ありがとう」ではなく、
自分の納得する演奏がお届けできず「ごめんなさい」。
そんな時、大きな笑顔で喜ぶお客さんを見ると、さらに申し訳ない気持ちになる。
もちろん、お客さんを幸せにするのが最低条件だけれど、
やっぱり、私も幸せになりたい。

楽屋に帰って、顔を真っ赤にして、ふくれていると、
トニーとマーティンに、何事かと聞かれた。
ここで、出た一言。
「演奏が絶えられない。面白くない」

二人は、私が言った事を、勘違いした。
私が、ふたりの演奏に絶えられなく、面白くないからいい加減にしてくれ!と
怒っていると思ったのだ。
疲れているのに1時間にもわたるミーティングが行われ、
結局、個々の演奏に対する反省会のようになり、
うなだれて3人とも帰る羽目になった。

こういう時に限って、泊まっているホテルの部屋の蛍光灯が異様に暗く、
お風呂で温泉のもとでも入れて、登別気分でゆっくりしたい所なのに、
シャワールームしかついていなかったりする。
さらには、ちょうど自分の部屋の前で、ビルの工事が行われていたりして、
工事のおじさんと目が合うので、カーテンもあけられなかったりする。
何をしようとしても、無駄な抵抗はやめろと、神様は私をあざ笑うかのようである。
ちょっとは優しくしてよぅ・・と思う瞬間だ。

とりあえず次の日、お昼からクラブに入り、ピアノと戯れる。
とにかく弾く。
大体、音自体も気に入らない。
多分クラブとピアノの音の相性があまり良くないのだ。
そんな試練までよこさなくていいのに、と思いながらも、
いろいろタッチを研究して、どうしたらこのピアノを
一番良く聴かせられるかを考える。
いろいろやっているうちに、ピアノの音と、
マーティンのライドシンバルの音の相性が良くない事に気づいたので、
本番前に変えてもらった。
残念ながら、それ以外何も解決策のないまま、本番を迎えた。
いつも楽しみなご飯も、とりあえず詰め込む感じで、
エンジョイする余裕すら無い。
でも、今夜は心に決めていた。

「行った事のない所に行こう」

トニーとマーティンが、「えぇ!?」と驚く。
「ほ、ほんとに、そっちでいいんですか?
明らかに道がなく、ただの雑木林ですけど」という方向でも、
とにかく後ろを振り返らず、進んで行く。
「こっちで絶対正しい」という直感が生む信念を貫き通す。
いつもと違う音。バランスが少しでも悪いと思ったら、迷いが出る。
それでは、ダメだ。誰がなんと言おうと突っ走らなくては。

結果。
惨敗!

そちらの雑木林には、何もなかったのである。
でも、どこかで通った事のある道や、知ってる道を通るよりは、
断然面白かったし、可能性は見えた。
極端なチャレンジが音楽には必要だ。
自分を納得させるには、何事にも必要なのかもしれない。

ファーストセットが終わり、楽屋に戻る。
「昨日よりは、おもしろかった」とつぶやき、
二人も同意する。
その時だった。
楽屋をノックする音。
オーナーが家族らしい3人組を連れて来た。

「この家族は、今回のひろみのライブで、一番最初に予約してくれたお客さんだよ」
「こんにちは」と挨拶をする。
この後、仰天発言が飛び出した。
「私達はデンマーク出身で、今はオスロに住んでいるんだよ」
「そうなんですか?こちらへはお仕事か何かで?」
「違うよ!ひろみを見に来たんだよ。
来週のスイス公演は、どうしても仕事で日程が合わなくてね、
トルコに来るしかなかったんだよ」

開いた口が塞がらない。

オスロって、ノルウェーだよ!
ノルウェーから、トルコって軽く飛行機で5時間以上、かかるんだよ!

「本当にはるばる来て良かった。
数ヶ月前に偶然ひろみのアルバムに出逢って、
絶対ライブを見たい!と思ったんだ。
ピアノに挑んでいくような姿勢、音、全て本当に堪能したよ。」

いろんなお客さんがいる。それは当然だ。
正直トルコでは、自分を見に来ているお客さんなどいないと思っていた。
クラブに偶然居合わせたお客さんにアピールするのだと思っていた。
そしたら、思わぬ味方を発見した。
惨敗したと思っていたリスクを負った演奏で、
自分の演奏を知っているお客さんを喜ばす事ができた。
自分の中で何かがクリックした。

「セカンドも残っていきますか?」
「もちろんだよ!何度も言うけど、オスロから来たんだよ!全部見て帰るよ!」

「この感動の後に、私は、さなぎ期間を打ち破ったのだった、めでたしめでたし」となると、
話として、格好がいいが、世の中そんなに甘くはない。
セカンドセット。さらにリスクを負ったプレイ。
ここ最近では一番面白いプレイで、自分がほくそ笑む部分も何度もあったが、
満足がいくものとは言えなかった。
でも、嬉しかった。オスロの家族に助けられた。
「次は何をやります」と言うと、「それ聞きたかったよ!」という顔をしてくれる。
東京ドームで巨人戦をしていた阪神の選手が、
タイガースのメガホンを持ったお客さんとばったり会ったような感じだ。

グリーンティーファームを演奏する時、思った。
「浜松にいた頃、イスタンブールで演奏して、
そこにノルウェーから見に来て応援してくれる人がいるなんて、
想像もしてなかったよね」と。
感謝の気持ちをたくさん込めて、演奏した。

継続は力なり。
開かないドアはない。
開くまでノックし続ける事が大切なんだと思う。
それが、何日、何ヶ月、何年かかろうとも。
重いドアだったら、それを開けられるように、
筋トレして、さらに力強くなって、
また何ヶ月後にドアを押してみて、
それでも開かないのなら、また再挑戦する。
結局何事も忍耐力なのだろう。
再挑戦し続けることは、簡単な事ではない。
そのたびに、自分自身に落胆し、少し弱り、
でもそんな弱った自分を戒め、
そのショックによって、さらに強くなる。

果てしない旅。
終わりのない旅。
私が、自分の演奏に完全に満足する日は、一生ないのかもしれない。
だから、私は今日も挑戦し続ける。
見た事のない世界を探して。

2006
9月16日

「笑顔の旅」

人は大体時間をかければ、歩み寄れたりするものだけれど、
ひとりだけ、もう早4年のヘビーなお付き合いをしているにも関わらず、
分かり合えない人がいる。

「プロペラ君」である。

このメッセージにも何度も登場しているプロペラ君。
これだけ飛んでいるのに、全く慣れない。歩み寄れない。
プロペラ君に遭遇する日には、必ずいくつものトラブルがある。
プロペラ君に辿り着く頃には、疲れ果てているケースが多い。
今日は、NYは大雨。
そして西海岸にあるフレスノという街でライブの日だ。
早朝4時に家を出て、大雨の中、空港に辿り着いた。
ここまではなかなか順調だった。
チェックインの時も、ノード君の事を咎められる事もなく、
セキュリティーも、すいすい進んだ。
調子に乗ったその瞬間に、コトは起こる。
それが、世の常だ。

ベルトに全てのものを乗せ、
くぐる門もくぐり、荷物を待っていたまさにその時。

ガガガガガッ。

私の愛用している機内持ち込み用パソコンバッグのベルトが、
ベルトを降りた所にある、ころころっと荷物が下りてくるはずの坂の
最初のコロコロの間にはさまったのだ。
コロコロは壊れていて、完全に私のバッグをつかんで離さない。
二人掛かりで、引っ張ったが、引っ張れば引っ張る程、取れなくなる始末。
さらに二人セキュリティーの人達が来て、力づくで引っ張る。
そんなんじゃ、ベルトが切れちゃうよ、と思いながらも、
他に対処法がないので仕方がない。
おじさん達が力づくで引っ張り続けて10分以上が経過。
私の後ろに並んでた人からは、ブーイングの嵐。
マーティンは「See you in Fresno」と言い出す始末。

とうとう大きなレスラー級のセキュリティーガードがやってきた。
あぁ・・さよならマイバッグと思いながら、見ていると、
このおじさん、引っ張る事なく、
「ベルトを反対に回してみたらどうか」と言う。
反対に回した。
するっと抜けた!
力づくで解決するキャラかと思いきや、頭で解決したところに、
感動を覚える。

ゲートにたどりつく。ここでトニーから電話。
トニーは、今年始めに郊外に引っ越して、いつも空港で集合になっていた。
「ターミナルどこ?」

え!?
時は、もうフライト45分前である。

ひろみ「まだチェックインしてないの?」
トニー「運転してても、大雨で、前が全然見えなかったんだよ。」
ひろみ「とりあえずトニーが来るって事をゲートの人に伝えるね」
こう言って、電話を切る。
ゲートの人に言うと、
「45分前にはチェックインをクローズするから、
彼はこのフライトには乗れないわね」
「でも、今日が演奏なんです」
「時間通りにこない方が悪い」
ぐっ。ごもっとも。

今日のフライトは、ロス経由だ。
次のフライトを調べたら、ギリギリでコネクションに間に合う便があった。
これで、万が一乗れなかったとしても、希望は残る。

ゲートの前を行ったり来たりしながら、電話を待つ。
「乗せてくれないって!」とトニーから電話が入る。
「次のフライトなら、なんとかコネクション間に合うから、それに切り替えて!」
と迅速な指示を出す。
もうこの時点でフライト25分前である。
私も飛行機に乗り込んで、無事にフライトを振り替えてもらえる事を祈る。

それから待つ事15分。電話が鳴った。
「ゲートどこ?」
「は?」
「ひろみのゲート」
「46だけど」
「今行くからドア閉めないでって言って」

慌てて、ドアの方へ向かう。
アテンダントの人に事情を説明し、ゲートの入り口まで連れていってもらう。
出発10分前である。

トニーが、ゲートの所で事情を説明している。
「前のフライトに間に合わず、次のフライトにチェックインしたけど、
結局間に合ったから乗せてくれ」
ゲートの人は快く、元のフライトに戻してくれた。
機内に乗り込む。
乗り込んで、2分後、飛行機がスタート。
トニーが私の横に座っている。しばらくふたりとも呆然としている。
トニーが謝る。「これでも3時には出たんだ。」と釈明を始める。
私が、発した最初の一言。

「トニー天才!」

ここ何年も、ギリギリのコネクションや、
遅延などで散々寿命の縮む思いをしてきた私だが、
こんな作戦、思いつかなかった。
「もうチェックインはクローズしたので、だめです」と言われたら、
「そこをなんとか」と頼み込むのが、今までの方法だった。
しかし、次の便にさっさと振り替えた後に、元の便のゲートに走り、
現場で交渉するという方法をトニーはやってのけたのだ。
トニーグレイという男の頭のキレに感動した。

胃の痛くなるような午前5時−6時を過ごし、6時間フライトを終えた所で、ロス到着。
ここからフレスノという小さな空港に向かう。
小さな空港=プロペラ君の可能性が増える。
この法則は、数々の旅で立証されてきた。
そして、現れたプロペラ君。
羽根のところが、少し黒くなっていたり、汚れていたりすると、それだけで気になる。
マーティンは、飛行機が飛ぶ前に必ずお祈りをする。
私も、最近ファンの方に頂いた(ありがとう!!!)、
京都の「飛行神社」という神社の、航空安全お守りを手に握りしめる。
世の中の全ての神様仏様、一斉出動である。

私は、飛行機に乗ると、いつも自分の一生について考える。
大げさに聞こえるかもしれないが、事実である。
これだけ乗っているので、月に何回も考えないといけなくて大変だ。
滑走路で自問自答が始まる。
Q「やり残したことはないか?」A「たくさんありすぎる」
Q「前のライブには満足したか?」A「精一杯やったけど、満足していない」
そして、大切な人達の顔が次々と浮かぶ。
フライト中は、ブログ用の写真を撮ったりして、
気をまぎらわしてみる。
少しでも揺れると、慌ててお祈りだ。

そして、神様仏様に敬礼しながら、無事フレスノに到着。
今日は、カリフォルニア州立大学でのライブ2Days。
初めて来る街だ。
アメリカという国は広い。
西海岸と東海岸では流行も違う。
言ってみれば、違う国のようなものだ。
アメリカ全土に自分の音楽を広めて行くのは、長い道のりである。

誰も私の事を知らないだろうに、誰が来てくれるのだろう、と思っていたら、
思っていた以上に、お客さんが来てくださった。
そして、今日も、お客さん達の笑顔に辿り着けた。
帰ろうと外に出るとたくさんの人が待ってくれていて、
笑顔で拍手をしてくれた。
サンフランシスコから3時間半運転して来てくれたお客さんの多さに驚き、
80歳くらいのおじいちゃんおばあちゃんが、
「生きていてよかった」と涙してくれ、もらい泣きをした。
二日間連続で見に来てくれた人達もたくさんいた。
中には「明日のモントレージャズも見にいくよ、3日間ヒロミ漬けだよ」
と言ってくださるお客さんもいた。

お客さんの笑顔は、私の終着点であり、出発点である。
この笑顔が見たくて演奏を続け、旅を続け、
笑顔が見れると、また次の笑顔を目指して飛び立つ。
明日はモントレイ。
プロペラ君の予感はあるけど、仲良くやろうと思う。
また笑顔に出会えるかもしれないのだから。

6月20日

「50年の重み」

今日は、秋吉敏子さんの渡米50周年を記念するコンサートが、
ここNYで、JVC JAZZ FESTIVALの一環として行われた。
私は、このコンサートのオープニングアクトの一人として、参加させて頂いた。

50年。
渡米して、50年。
なんて、長い期間だろう。
日本女性が、50年前の時代に、ひとりで渡米し、
ジャズ界で生きるという事が、
どれくらい過酷な事かなど、想像もできない。

私は今日秋吉さんのコンサートをずっと脇から見ていて、
涙が止まらなかった。
彼女の音が、背中が、いろいろな事を語っていた。
そして、脇には、彼女が渡米した時からずっと彼女を見守ってきた、
アメリカジャズ界のドン、現80歳のジョージ・ウェインもいて、
白いスーツに身を包み、ステッキを持って、座っていた。
彼女を、これ以上なく優しく、愛おしそうな目で、
ずっと見つめていた。
格好良すぎる80歳である。

秋吉さんは、日本人ミュージシャンにアメリカへのドアを開いてくれた第一人者だ。
何もないところに、道を作っていくという事は、想像を絶する大変さだろう。
今日、私はステージに立っている時、
彼女の過酷な苦労のおかげで、ここに立てている、と痛感した。

彼女が渡米したのは、1ドル360円時代。
考えれば考える程、信じられない。
よく、雑誌の取材などで、
「アメリカでひとりで生活していて、エライですね」と言われる。
エラくなんか、ない。
秋吉さんの時代の苦労に比べたら、
私の苦労なんて、ちゃんちゃらおかしいのである。
だって、今は、私が世界のどこにいたとしても、
メールの普及などのおかげで、
どこにいても家族友達と繋がれる。
「本当の孤独」を感じる事は少ない。
でも、彼女の時代は、電話はべらぼうに高かっただろうし、
手紙しかない時代だ。
しかも、今より届くのなんて、倍以上遅かっただろう。
その中で、生き延びて来た彼女。戦ってきた彼女。
敬礼するほかない。
どんな言葉も陳腐に聞こえる程の、
想像を絶する根性だ。

彼女の50年間の頑張りは、
今の私を叱咤激励する。
彼女の強いられた環境を考えると、
私の周りに起こるどんなトラブルも、
黙ってこなせ、という感じである。

だって彼女は、ほんとに輝いている。
ハイヒールを履いて、ダンッダンッと床を蹴り、
キラキラのドレスを着て、生きたピアノを弾く。
茶目っ気たっぷりで、可愛くて、素敵で、カッコイイ女性だ。
今日一番刺激を受けたのは、
50年間の偉業をたたえる事で感動するのはもちろんだが、
これからさらにどんどん行くよ!という、
60周年記念コンサートを楽しみで仕方なくなるような演奏を、
目の当たりにした事である。

私が今アメリカに渡って7年。(←数字にすると、この上なく未熟者)
つまり、あと43年で50周年。
そうすると、私は70歳になる。
70歳になった時に輝けるかどうかって、
きっと今の一日一日にかかってる。
毎日、地に足をつけて、しっかり踏ん張って、歩こう。

今、私の音楽を聴いて下さっているみなさん、
私が70歳になった時、もしまだ私の音楽を聴いてくださっていたら、
例え杖をついて来ても、ライブでは、席で杖をオーって空中に上げて、
生きる喜びに溢れた人生を一緒におくれたら、本当に嬉しいです。
きっとそういう生き方ができたら、
何歳でも、「まだまだこれから。」って言えるような人生を
過ごせると思うから。
私、がんばりますから!適度に運動をして、健康管理して。
日本はこれから高齢化社会。
80、90歳になっても、やけにみんなノリノリで、
他国の新聞に「日本の高齢者はスゴイ!」って
取り上げられるような国にしていきましょう。
お茶飲むのもよし!
黒酢飲むのもよし!
ウォーキングもよし!
でも、きっと一番大切なのは、
心がドキドキときめく瞬間を追い求めて生活する事だとおもう。
だから、私はライブをし続ける。
80になっても、真っ赤なスニーカー履いて!

秋吉敏子さん。
本当にありがとうございました。
次は60周年記念コンサート。
きっと、またボロ泣きすると思います。
あなたの作ってくれた、ロングイェローロード*を、
毎日全力疾走します。

*ロングイェローロード=秋吉さんの名曲。

1月15日

「ともだちの輪」

今日は、ここワシントンDCでのライブ。
Blues Alleyというクラブでの二日目。1月13日、金曜日。
「今日は13日の金曜日だから、何か起こるんじゃないの?」
とトニーとマーティンがつぶやく。
日本には、13日の金曜日を怖がる習慣はあまり定着していないので、
別に何も起こりやしないよ・・と思う私。
これがね、起こるんです。
びっくりなんです。
13日の金曜日、恐るべし!
1stセットの前に、バーでごはんを食べていたら、
人に声をかけられた。
「ロニースコッツで見たから、来たんだよ!」
ロニースコッツ・・・。イギリス。
「あのとき丁度ロンドンに旅行に行っていて、ひろみを見たんだ。
実家はDCでね、絶対家族や友達に見せたいと思って、8人で来たよ!」
7人も連れてきてくれた・・。涙。
そして、その後、またひとり声をかけてきた。
「ウンブリアジャズフェスティバルで見たから、来たんだよ!」
ウンブリアジャズ・・・。イタリア。
「あの時丁度ペルージャにいてね、ひろみを見たんだ。
住んでるのはDCでね、絶対友達に見せたいと思って、5人で来たよ!」
4人も連れてきてくれた・・。涙。
この後にも、ロンドン公演に来てくれたお客さんさらに二人、
モントリオールジャズフェスティバル(カナダ)で見てくれたお客さんに出会う。
アメリカ以外で出会った人と、一夜でこんなにたくさん出会う。
みんな大集合だ。首都の威力か!?
そして、またひとり声をかけてきた。
「上原ひろみさんですか?」
日本人のおそらく私の母親と同じくらいの年の女性。
「はい」
「わー!ちょっとこれ見て!」
初対面で会うなり運転免許証を見せられたのは、初めてである。
「名前のとこ、見て!」
「!!!!!!!!!!」
出ました。13日の金曜日マジック。
書いてあった名前は・・

「HIROMI UEHARA」

「うそ!?」
「そうなのよー!私も上原ひろみっていうの!」
人生で初めて、同姓同名の人に出会った。
彼女はメキシコ生まれで、今はアメリカで暮らしているらしい。
「友達から電話があって、お前ブルースアレイでなんかやるのか?
って言われて、びっくりしちゃってねー」
と語る彼女。
私は、人生で上原という親戚以外の人に、彼女も含めて3人会っている。
しかも、なぜか全員アメリカでだ。
後の二人は、ボストンで出会った。
3人目にDCで出会ったら、上原ひろみと来たもんだ!
彼女は、演奏終了後に、とても興奮してハグしてくれた。
上原ひろみ同士のハグ。13日の金曜日に起きた奇跡。
さらに、ミラクルは続く。
ライブ終了後、ペルージャで私を見た人が連れてきてくれた友達が、
「来週長く住んだDCを離れるんだ。
とてもいい思い出になった。ありがとう」
と言ってくれた。
「どこに行くの?」と聞くと、
「イスラエル」
「え?今度行くよ!」
「いつ?」
「来月」
「どこ?」
「テルアビブ」
「WOW!まさに引っ越し先だよ。
今度は、僕が友達をたくさん連れて行くからね。約束。」
なんだか、感極まった。
こうやって、ともだちの輪が出来て行く。
今日は他にも、DC在住のアメリカ人で、
「日本人の友達がね、この前日本でスパイラルツアーを見て、
DCでライブがあるから絶対行け!って念を押されて来たよ。」
という人がいたりした、
どこの誰だか存じないけれど、宣伝してくれてありがとう!!!
世界中が繋がっていく。
違う場所で違うタイミングで、何か同じものを感じる。
そしてそれを伝えて、みんなが両思いになっていくこの感じ。
感無量。
支えられています。みんなのともだちの輪に。
連れて来た人が恥ずかしい思いをしないように全力を尽くして、
「ほら、来て良かっただろ」ってちょっと自慢げに帰っていってもらったりすると、
なんだかとても嬉しい。
演奏前には、「連れてきたからな。よろしく頼むぞ!後はお前次第だぞ!」
って言われてる気がする。
もちろん、うまくいっているケースばかりではないと思うけど、
そんな中でうまくいった時には、その連れてきてくれた人と強力タッグを組んだ気になる。
手をパチンと合わせたい衝動にかられる。
今日は、音楽がもっともっと大好きになった。
ともだちの、輪!

1月1日

「謹賀新年」

旅にはいろいろなバッドラックがあるが、最初が肝心であって、
ひとつ悪い事があると、雪崩のように、悪い事が起こったりする。
なので、いつも旅に出る日は少し緊張気味で、
何もありませんように、と思いながら、ドキドキ生活している。
出発当日、NY自宅にて、スーツケースも詰め終わり、
お昼を食べようとしたそのときだった。
お湯も沸き、さすがにスロバキアでは、
和食も食べられないだろうから、食べおさめておこうと
「ラーメン屋さん、醤油味」袋入り麺に手を伸ばしたとき、
悲劇は起こった。
ヤラレタ!
見覚えのある、ギザギザに引き裂かれた切り口。
見てみると、半分麺がない。
前のねずみハウスからは引っ越して、
結構余裕で生活していたが、ついにやられた。
しかも、前回はパンだったから、ヨシとしよう。
今回はラーメンである。よりによってラーメンである。
私は、日頃怒る事はあまりない性格である。
ねずみにパンを食べられたときでさえ、
みんな生活しなきゃいけないんだから、と、
執行猶予を与える余裕があった。
しかし、今回は話が違う。
なぜなら、袋入りラーメンの周りには、うどんやそばもあったし、
何より許せないのは、私の大好きな「ラーメン屋さん、醤油味」の隣には、
こっちでしか売っていないあまり美味しいとは言えない
アメリカ人向けの袋入りラーメンがあったのだ。
「ラーメン屋さん醤油味」は、
日本食スーパーまでわざわざ足を運ばないと買えない代物で、
そこらへんのコンビニで売っている、
なんちゃってラーメンとはわけがちがう。
なのに!それが横にならんで置いてあったにも関わらず!
しかも、それの方が手がのばしやすい位置にあったにも関わらず!
わざわざ美味しくて高い方を食べたのである!
久しぶりに、顔が紅潮するほど頭に来た。
ねずみ撃退スプレーをキッチン中にまき散らす。
本気である。
結局食べそこね、日本食スーパーまで買いに行く時間もなく、
リベンジを心に誓い、しぶしぶ空港に向かう。
いつもNYで空港に行く時は、いわゆる白タクというものを利用している。
白タクといっても、怪しい白タクではない。
ブルックリンには白タクしかないのだ。
ちゃんと会社が経営しているもので、危ないものではない。
(観光の時は、ちゃんとイェローキャブに乗りましょう)
これだと、イェローキャブの半額くらいで、空港につくのだ。
しかも、トニーもマーティンもピックアップしてもらえるので、お得。
その代わり、安いだけあって、問題がある。
英語があまり通じないのだ。スペイン語のみ。
気だてのいいアミーゴが運転手である。
今回は、マーティンのホームランド、スロバキアでの公演なので、
マーティンはすでに現地入りしていて、トニーと二人だけで行く事に。
まずは、見た事のないような渋滞。
こういう事態も想定して、大体いつも余裕を持って出るのだが、
それでも余裕がなくなるような渋滞である。
なんとかトニーの家に到着。
ここまで、いつも15分なのだが、30分かかる。
ピックアップして、トニーと無駄話をする事30分。
だいたい、トニーの家から空港が3−40分。
思ったより流れていたので、
あと10分くらいでつくかな、と思いきや、
この瞬間、目の前にした景色は一生忘れないだろう。
目の前に広がる空港。
ザ・ラガーディア空港。
オイオイ、アミーゴ!JFKって言ったじゃないの。
「ノーラガーディア。JFK!」
誰でもわかりそうな英語で伝えると、
「オー、アイノウ」
絶対嘘である。
絶対間違えたのである。
でも、間違えたっていうと、大変なことになるのがNY。
訴えられたり、仕事を失ったりと大変である。
たいていの人は間違いを認めない。
とにかく、今このアミーゴを責めた所でどうにもならない。
なんとか、早くしてもらうように言う。
今までの数々のトラブルから、トラブルがあった時に、
相手を責めるとロクな事にならないのは、重々承知である。
早くしてもらわないと間に合わなさそうな顔をする。
ボディランゲージならぬ、フェイスランゲージである。
そして、ここから、また無駄な渋滞が。
おもしろいくらい、進まない。
ほらね、わかっていたよ。あのラーメン襲撃事件の瞬間から、
今回は一筋縄ではいかないこと。
今日は、到着してそのままライブ。
しかも、空港から3時間離れた街である。
さらには、マーティンのホームランド。
遅れた場合のマーティンの泣き顔が目に浮かぶ。
万が一の事態を想定して、
マイレージを使って他の航空券を買うなど、対応策を練る。
幸いな事に夜6時の便だったので、
ウィーンに飛ぶ最後の便は8時半だと言う事が判明。
最悪の場合も、ライブを逃す事はないという事がわかり、少し安心する。
でも、がんばってよ、アミーゴ。君にかかってるんだよぅ。
乗る事さらに40分。
出発時間まで1時間半を切った所で、到着。
このアミーゴが、また間違えて、
出発ターミナルではなく、到着ターミナルに車をつける。
3階上だってば!
でも、車でぐるっと回ってくるより、
自力でエレベ−ターで行った方が、早いので、
猛猛猛ダッシュ。
エアーリンガスというアイルランドの航空会社は、初めて利用したが、
驚きのルーズさで、何も咎められる事なく、チケットを出してもらい
ほっとするのもつかの間、
「キーボードを機内に持ち込めないので、チェックインしてください」
冗談じゃない。
ただでさえ、最近ご機嫌ななめのノード君を
ベルトにのせるわけにはいかない。
ここのカウンターで働いている人全員が、
ここに集まっているんじゃないかと思うほどの人数を相手に、
猛烈に交渉すること15分、持っていっていいとしぶしぶ言われる。
さらには、考えられないほどの、セキュリティーの列。
本当にスムーズにいかないのが、旅である。
いろいろあったが、無事ウィーンに到着。
HIROMIと書いたサインを探す。
どこを見てもいない。
またか・・・。
知らない国で、知らない人に囲まれ、
知らない言語がとびかっている時の、待ち時間ほど長いものはない。
サインを持っている人をじろじろ見たり、
時々「ひろみ」と自分の名前をこっそり叫んだりして、
完全に怪しい人になること、30分。
サインを持っている人が走ってきた!!!やっと発見。
そこから車で揺られて1時間。
オーストリアースロバキアの国境を越え、ノムザムキーへ。
やっと到着。
この先にも、ピアノがあり得ない程の小ささ(しかも茶色)だったり、
ピアノ椅子がなく、会議室に置いてあるようなイスでやったりと、
まぁいろいろな事があったのだが、そこらへんは省略。
ノムザムキーの人が狂喜乱舞してくれれば、
こんな旅の事なんて、へっちゃらである。
終わってから、
みんなに「楽しかった」「来てよかった」と言ってもらえて初めて、
疲れが癒される。
演奏して、疲れが癒されるのは、変な話に聞こえるかもしれない。
普通は、演奏したら、疲れるはずだからである。
それだけ、ライブというものは、エネルギーをくれるものなのだ。
今日はこれからマーティンの故郷、首都ブラティスラバでの演奏。
マーティンとは長い事一緒に演奏しているけれど、
彼のこんな嬉しそうな顔は見た事がない。
ライブが大好きな彼は、確かにいつも嬉しそうだけれど、
今回は、どうしようもないくらい嬉しいのだと思う。
お世話になった人や家族、友達がみんなこぞって見にくるからだ。
しかも、夢の自宅出勤。
私の、「浜松状態」だ。
自分の生まれ育った国での演奏は、格別である。
私も、日本ツアーをする時は、言葉では言い表せない思いがある。
彼は、到着してから「来てくれてありがとう」と何度も口にした。
実は、マーティンを驚かそうと思って、
NYでこっそり練習していったスロバキア語をノムザーキーで披露。
彼は、「信じられない、本当にありがとう」と言ってきた。
でも、まだ私のスロバキア語ボキャブラリーは
すべて披露されていない。
今日もさらに曲説明などを、全編スロバキア語で行う予定だ。
ふっふっふっ。見てろ、マーティン♪
マーティンのお世話になった人に、
私も、マーティンと一緒にお礼を言うつもりで、
精一杯の演奏をしてきます。
今日も、またピアノ椅子がなくて、ドラム椅子だったり、
明日はスロバキアでテレビ生出演があったり、
明後日は、ここから車で5時間の街、コルシチェで演奏した後に、
フライトが次の日、朝10時出発のため、
夜中3時にホテルを出発し、
車で5時間揺られてから、飛行機に乗るなど、
まだまだいろいろあるけれど、きっとなんとかなるだろう。
マーティンの屈託のない笑顔を見ると、
そんな事はどうでも良くなってくる。
人の笑顔は、人を幸せにしてくれる。
だから、私は、お客さんの笑顔に出会えるライブがやめられないのだと思う。
"追記"
1曲目が終わった後に、耳が痛くなるような拍手をもらった時、
マーティンの目が潤んでいるのが見えた。
嬉しさが何倍にもなる。私も涙目になる。
「オン・ドラムス・マーティン・バリホラ」
いつもの10倍くらいの声で、何度も何度も叫んだ。
熱気に包まれ続けた1時間。終わらないアンコール。
マーティンは、とても誇りに満ちた、凛々しい顔をしていた。
マーティンの家族親戚一同に会って記念撮影。みんな狂喜乱舞していた。
どこの国でも、家族親戚は同じだ。とても暖かい。

2005
10月24日

「マーティンの故郷へ」

旅にはいろいろなバッドラックがあるが、最初が肝心であって、
ひとつ悪い事があると、雪崩のように、悪い事が起こったりする。
なので、いつも旅に出る日は少し緊張気味で、
何もありませんように、と思いながら、ドキドキ生活している。
出発当日、NY自宅にて、スーツケースも詰め終わり、
お昼を食べようとしたそのときだった。
お湯も沸き、さすがにスロバキアでは、
和食も食べられないだろうから、食べおさめておこうと
「ラーメン屋さん、醤油味」袋入り麺に手を伸ばしたとき、
悲劇は起こった。
ヤラレタ!
見覚えのある、ギザギザに引き裂かれた切り口。
見てみると、半分麺がない。
前のねずみハウスからは引っ越して、
結構余裕で生活していたが、ついにやられた。
しかも、前回はパンだったから、ヨシとしよう。
今回はラーメンである。よりによってラーメンである。
私は、日頃怒る事はあまりない性格である。
ねずみにパンを食べられたときでさえ、
みんな生活しなきゃいけないんだから、と、
執行猶予を与える余裕があった。
しかし、今回は話が違う。
なぜなら、袋入りラーメンの周りには、うどんやそばもあったし、
何より許せないのは、私の大好きな「ラーメン屋さん、醤油味」の隣には、
こっちでしか売っていないあまり美味しいとは言えない
アメリカ人向けの袋入りラーメンがあったのだ。
「ラーメン屋さん醤油味」は、
日本食スーパーまでわざわざ足を運ばないと買えない代物で、
そこらへんのコンビニで売っている、
なんちゃってラーメンとはわけがちがう。
なのに!それが横にならんで置いてあったにも関わらず!
しかも、それの方が手がのばしやすい位置にあったにも関わらず!
わざわざ美味しくて高い方を食べたのである!
久しぶりに、顔が紅潮するほど頭に来た。
ねずみ撃退スプレーをキッチン中にまき散らす。
本気である。
結局食べそこね、日本食スーパーまで買いに行く時間もなく、
リベンジを心に誓い、しぶしぶ空港に向かう。
いつもNYで空港に行く時は、いわゆる白タクというものを利用している。
白タクといっても、怪しい白タクではない。
ブルックリンには白タクしかないのだ。
ちゃんと会社が経営しているもので、危ないものではない。
(観光の時は、ちゃんとイェローキャブに乗りましょう)
これだと、イェローキャブの半額くらいで、空港につくのだ。
しかも、トニーもマーティンもピックアップしてもらえるので、お得。
その代わり、安いだけあって、問題がある。
英語があまり通じないのだ。スペイン語のみ。
気だてのいいアミーゴが運転手である。
今回は、マーティンのホームランド、スロバキアでの公演なので、
マーティンはすでに現地入りしていて、トニーと二人だけで行く事に。
まずは、見た事のないような渋滞。
こういう事態も想定して、大体いつも余裕を持って出るのだが、
それでも余裕がなくなるような渋滞である。
なんとかトニーの家に到着。
ここまで、いつも15分なのだが、30分かかる。
ピックアップして、トニーと無駄話をする事30分。
だいたい、トニーの家から空港が3−40分。
思ったより流れていたので、
あと10分くらいでつくかな、と思いきや、
この瞬間、目の前にした景色は一生忘れないだろう。
目の前に広がる空港。
ザ・ラガーディア空港。
オイオイ、アミーゴ!JFKって言ったじゃないの。
「ノーラガーディア。JFK!」
誰でもわかりそうな英語で伝えると、
「オー、アイノウ」
絶対嘘である。
絶対間違えたのである。
でも、間違えたっていうと、大変なことになるのがNY。
訴えられたり、仕事を失ったりと大変である。
たいていの人は間違いを認めない。
とにかく、今このアミーゴを責めた所でどうにもならない。
なんとか、早くしてもらうように言う。
今までの数々のトラブルから、トラブルがあった時に、
相手を責めるとロクな事にならないのは、重々承知である。
早くしてもらわないと間に合わなさそうな顔をする。
ボディランゲージならぬ、フェイスランゲージである。
そして、ここから、また無駄な渋滞が。
おもしろいくらい、進まない。
ほらね、わかっていたよ。あのラーメン襲撃事件の瞬間から、
今回は一筋縄ではいかないこと。
今日は、到着してそのままライブ。
しかも、空港から3時間離れた街である。
さらには、マーティンのホームランド。
遅れた場合のマーティンの泣き顔が目に浮かぶ。
万が一の事態を想定して、
マイレージを使って他の航空券を買うなど、対応策を練る。
幸いな事に夜6時の便だったので、
ウィーンに飛ぶ最後の便は8時半だと言う事が判明。
最悪の場合も、ライブを逃す事はないという事がわかり、少し安心する。
でも、がんばってよ、アミーゴ。君にかかってるんだよぅ。
乗る事さらに40分。
出発時間まで1時間半を切った所で、到着。
このアミーゴが、また間違えて、
出発ターミナルではなく、到着ターミナルに車をつける。
3階上だってば!
でも、車でぐるっと回ってくるより、
自力でエレベ−ターで行った方が、早いので、
猛猛猛ダッシュ。
エアーリンガスというアイルランドの航空会社は、初めて利用したが、
驚きのルーズさで、何も咎められる事なく、チケットを出してもらい
ほっとするのもつかの間、
「キーボードを機内に持ち込めないので、チェックインしてください」
冗談じゃない。
ただでさえ、最近ご機嫌ななめのノード君を
ベルトにのせるわけにはいかない。
ここのカウンターで働いている人全員が、
ここに集まっているんじゃないかと思うほどの人数を相手に、
猛烈に交渉すること15分、持っていっていいとしぶしぶ言われる。
さらには、考えられないほどの、セキュリティーの列。
本当にスムーズにいかないのが、旅である。
いろいろあったが、無事ウィーンに到着。
HIROMIと書いたサインを探す。
どこを見てもいない。
またか・・・。
知らない国で、知らない人に囲まれ、
知らない言語がとびかっている時の、待ち時間ほど長いものはない。
サインを持っている人をじろじろ見たり、
時々「ひろみ」と自分の名前をこっそり叫んだりして、
完全に怪しい人になること、30分。
サインを持っている人が走ってきた!!!やっと発見。
そこから車で揺られて1時間。
オーストリアースロバキアの国境を越え、ノムザムキーへ。
やっと到着。
この先にも、ピアノがあり得ない程の小ささ(しかも茶色)だったり、
ピアノ椅子がなく、会議室に置いてあるようなイスでやったりと、
まぁいろいろな事があったのだが、そこらへんは省略。
ノムザムキーの人が狂喜乱舞してくれれば、
こんな旅の事なんて、へっちゃらである。
終わってから、
みんなに「楽しかった」「来てよかった」と言ってもらえて初めて、
疲れが癒される。
演奏して、疲れが癒されるのは、変な話に聞こえるかもしれない。
普通は、演奏したら、疲れるはずだからである。
それだけ、ライブというものは、エネルギーをくれるものなのだ。
今日はこれからマーティンの故郷、首都ブラティスラバでの演奏。
マーティンとは長い事一緒に演奏しているけれど、
彼のこんな嬉しそうな顔は見た事がない。
ライブが大好きな彼は、確かにいつも嬉しそうだけれど、
今回は、どうしようもないくらい嬉しいのだと思う。
お世話になった人や家族、友達がみんなこぞって見にくるからだ。
しかも、夢の自宅出勤。
私の、「浜松状態」だ。
自分の生まれ育った国での演奏は、格別である。
私も、日本ツアーをする時は、言葉では言い表せない思いがある。
彼は、到着してから「来てくれてありがとう」と何度も口にした。
実は、マーティンを驚かそうと思って、
NYでこっそり練習していったスロバキア語をノムザーキーで披露。
彼は、「信じられない、本当にありがとう」と言ってきた。
でも、まだ私のスロバキア語ボキャブラリーは
すべて披露されていない。
今日もさらに曲説明などを、全編スロバキア語で行う予定だ。
ふっふっふっ。見てろ、マーティン♪
マーティンのお世話になった人に、
私も、マーティンと一緒にお礼を言うつもりで、
精一杯の演奏をしてきます。
今日も、またピアノ椅子がなくて、ドラム椅子だったり、
明日はスロバキアでテレビ生出演があったり、
明後日は、ここから車で5時間の街、コルシチェで演奏した後に、
フライトが次の日、朝10時出発のため、
夜中3時にホテルを出発し、
車で5時間揺られてから、飛行機に乗るなど、
まだまだいろいろあるけれど、きっとなんとかなるだろう。
マーティンの屈託のない笑顔を見ると、
そんな事はどうでも良くなってくる。
人の笑顔は、人を幸せにしてくれる。
だから、私は、お客さんの笑顔に出会えるライブがやめられないのだと思う。
"追記"
1曲目が終わった後に、耳が痛くなるような拍手をもらった時、
マーティンの目が潤んでいるのが見えた。
嬉しさが何倍にもなる。私も涙目になる。
「オン・ドラムス・マーティン・バリホラ」
いつもの10倍くらいの声で、何度も何度も叫んだ。
熱気に包まれ続けた1時間。終わらないアンコール。
マーティンは、とても誇りに満ちた、凛々しい顔をしていた。
マーティンの家族親戚一同に会って記念撮影。みんな狂喜乱舞していた。
どこの国でも、家族親戚は同じだ。とても暖かい。

8月30日

「LOVE & PEACE & MUSIC」

イスラエル。
毎日テレビで何かしら放映されている、情勢の厳しい国だ。
そこで演奏する事になった。
かなり大がかりなジャズフェスティバルだと聞いていたので、
セキュリティーはしっかりしているだろうし、
何ひとつ心配する事はないだろうと思いながらも、
やはりいつもにも増して、緊張はしていた。
想像がわかないのだ。
イギリスだったら赤いバス、フランスだったらエッフェル塔。
何かしらイメージが浮かぶのだが、
イスラエルから浮かぶものは、毎日CNNで流れてくる深刻な状況のみ。
この緊張感は、イスラエルに到着する前のJFKですでに始まっていた。

マーティンは、スロバキアに帰っていたのもあって、
現地で合流する事になっていた。
私とトニーと今回同行したカメラマンの白土さん。
まずは、JFKのチェックインカウンターで厳重なチェックを受ける。
このチェックを通り抜けないと航空券さえもらえないのだ。
「渡航理由」「荷物についての質問」など軽く50個くらいの質問を受けた後、
身体検査。荷物検査。
そして、別のルートに回される。
厳重調査の必要ありの人だけが回されるルートである。
3人で「一体どこからどう見たら怪しく見えるのだろうか・・・」
と首をかしげながら、いすに座る。

まず、周りを見渡してみると日本人が私と白土さん以外、ひとりもいない。
イギリス人と日本人二人。
関連性のなさそうな3人はひっかかって当たり前なのである。
無害である事をアピールしようと、笑顔を作るので、よけい怪しくなる。
ひとりは、ベースを持っているし、それがひっかかる。
もうひとりは、大きなカメラ&三脚&ハードドライブがひっかかる。
そして、ノード君がひっかかる。
最近、手のかかるノード君。
やはり今回も注目の的である。

ひとりずつ小さな仕切られた所で、靴も脱ぎ、細かく身体検査をされ、
もう完全な容疑がかかっている状態で1時間を過ごす。
そして、なんとかクリア。
ここからさらに驚いたのが、
航空券をもらったこのチェックインカウンターからゲートまで、
自分たちだけで行かせてもらえない事である。
多分、途中で誰かと接触しないか、などいろいろ疑っているのであろうが、
もう完全外界シャットアウトである。
イスラエルに渡る前に、
しばらくお別れする事になる中華料理でも食べておきたいという、
小さな夢は散る。
あまりにおなかがすいていたので、コンビニに寄らせてもらう。
ここでも、セキュリティの人は目を光らせて私が何を買うのかチェックしている。
ポテトチップスとバナナだってば!
そして、半分飛行機に押し込まれるような形で、飛行機に搭乗。
並んでいる人も全員飛ばしての搭乗なので、
考えようによっては、VIPのようであるが、ただの危険人物である。

そして、やっとフライト。
イスラエルというのは、結構遠くて、11時間くらいかかる。
この機内食で驚いた事がある。
「きゅうりの浅漬け」が出たのだ。
イスラエルにはきゅうりの浅漬けがあるらしい。
今までで一番美味しい機内食だった。きゅうりだけでいいと思った。
トニーがきゅうりをなかなか食べないので、チャーンス!と思い
「きゅうり嫌いなの?」と聞くと、
「いろいろ時間配分を考えて食べてる」と言う。チッ。
トニーが、フォークを置く。
まだ、きゅうりが残っている。
でも、まだ時間配分しているのかもしれない。
5分経過。10分経過。
口には出さなかったが、あまりの視線にトニーが
「欲しいの?」
・・・・・・・。
きゅうりをゲットするが、
飛行機で酔ってキュウリしか食べれなかった白土さんにきゅうりは渡すことにする。

テルアビブに到着。暑い。
「HIROMI」と書いた紙をもった人を発見。
車で次の空港に移動。日本で言う所の、成田ー羽田である。
そして、ここでまたセキュリティー。
30コくらい質問をされる。
セキュリティーを出てから、小腹がすいたのでサンドイッチを買う事にする。
ただ、カードが使えないので、ATMで現金をおろす事に。
換算レートが、全くわからない。
近くの人に聞くと「1ドル=40シュケル」らしい。
500シュケルおろせば、サンドイッチとコーヒーくらい買えるはず。
そして、お店へ。サンドイッチひとつ15シュケル。
え!?
数学は得意ではないが、これくらいの計算はできる。
15割る40。0.375。37.5セント?安っ!
コーヒーは10セントだ。
トニーと白土さんと「すごい安いー!」と感動する。
「なんでもおごってあげるよ。トニー」と言う私。
そして、同時にイスラエルからアメリカに出て来ている友達の事などを考える。
物価が高くて大変に違いない。少し、悲しい気持ちになる。

一休みした後、飛行機へ。なんせ、ここの空港。ゲートはひとつしかない。
空港の大きさは、30畳くらいである。
そして、出た!
久しぶりの出番である。
「ザ・プロペラ」
ここは、なんと今までに見た事のないプロペラ専用飛行場である!
ここから飛ぶのであれば、プロペラは否めないのである。
しかも、不思議なのが、普通のプロペラ機に乗れればまだ良いと思えるくらい、
周りに見た事のないくらいのヘリコプターサイズの飛行機が立ち並ぶ。
思わずカウンターの人に「私の乗る飛行機は何人乗りですか?」と聞く。

「60人」

セーフ!ヘリコプターは逃れる。
そして、プロペラ機へ。

エイラットに到着。もわっと熱気を感じる。普通の暑さではない。
通訳の人と合流。気温は45度らしい。お風呂のようである。
ホテルへ向かうバスの中で通訳の人に
「イスラエルは物価がほんとに安くてびっくりしました。
マッサージとか800円くらいできちゃうんだもの。すごいですね」と言うと、
「え!?マッサージは最低でも8000円くらいしますよ」と言われる。

・・・・。嫌な予感。

換算レートが間違っていた。
「1ドル=4.5シュケル」だったのである。45ではなく。
という事は、あのサンドイッチは4ドル弱。コーヒーは1ドル。
なんだ。普通・・・・。
危うく、イスラエルで大金を使うところであった。危機一髪である。
換算レートはきっちりチェックしてから入国したいものである。

エイラットという街は、いわゆるリゾート地。
リゾートホテルが並んでいて、確かに回りは砂漠&山だけれど、
イスラエルの人が、バケーションに来る場所だ。
イスラエルという国は、ニュージャージー州の大きさしかないらしい。
なので、車で移動していると、標識で「→エジプト」「←ヨルダン」
なんていう標識を見かける。
日本で「→韓国」という標識は見ないので、
国の小ささと陸続きの緊迫感を感じる。
紅海を挟むと、向こう岸にサウジアラビアや、ヨルダンが見える。

朝起きて、テレビをつけると、火があがっている。
どこかで誰かが戦っている。
驚くのが、それが今この国で起こっている事である。
そういう事で、やはり緊張感が増す。

電話がなる。
「サウンドチェックの事で話がしたいので、至急ロビーまで来てくれ」との事。
ロビーに向かうと、ジャズフェスの責任者が何人か集まっている。
「サウンドチェックは14時との事でしたが、今の状態でやると、
サウンドの人が倒れる恐れがあります。
なので、本番前の1時間半のスポットでやれませんか?」
倒れる恐れ!?
なんでも、今日は50度あるらしい。砂漠、恐るべし!
野外フェスなので、仕方ない結論であろう。
「サウンドの人が倒れる恐れがあるのでサウンドチェックがキャンセルになる」
というのははじめての経験だった。
まだまだ世の中には知らない事がたくさんあるな、と思う。

そしてコンサートへ。
バンでコンサート会場に向かう。
入念なセキュリティーチェック。
ジャズフェスの入り口に,
空港のセキュリティー並みの金属探知機(くぐる門)があるのは、初めて見たし、
セキュリティーの人が、全員マシンガンを持っているのも初めてだった。
ホテルにいると、リゾート地で、みんな家族連れや恋人同士なんかで来ていて、
楽しそうなはちきれんばかりの笑顔が溢れるのだが、
こういう所で国の緊張感を感じる。
考えてみれば、ホテルにはホテルのパスがないと入れてもらえないし、
セキュリティーは本当に厳重である。

コンサートが始まる。すでに夜1時である。
ステージにあがる。イスラエルでははじめての公演。誰も私の事は知らない。
私がステージにあがると、「あ、なんかちっこいの出て来た」という感じである。
今から起こる事は、今まで体験した事のない事である。
1曲1曲会場のテンションがあがって行く。
踊り狂う人。叫ぶ人。大泣きしている人。
あらゆる世代の人が、手を高くあげて拍手してくれる。
このコンサートは本当に盛り上がったとかそんな言葉じゃ片付けられない何かだった。
「何かが生まれる」瞬間である。
巨大なエネルギーが客席とステージが一体となった瞬間に生まれ、
それが宇宙まで突き抜けそうな感じである。
本当に記憶を失ったくらいにあっと言う間に過ぎた時間だった。
終わると、アンコールの嵐。
これも普通のアンコールではない。
そこにいる人全員がものすごい手を叩いて、
ものすごいがんばって声を出してはじめて生まれる音。
こうやって1日目のコンサートは終わった。
その日興奮冷めやらぬ私は、
会場で朝7時までオールナイトで行われているジャムセッションに出かけ、
さらに演奏をする。寝たのは朝5時半。長い一日だった。

演奏二日目。
会場に行くと、何かが違う事に気づく。
裏で働いている人が呼びにきた。
会場の外に、ものすごい列ができているらしい。
開場とともに、どわーっと私のコンサート会場の中に人が流れ込んで来た。
全力ダッシュである。こんなの見た事がない。
デパートのバーゲンセールの開店みたいである。
そして、開演時間には1日目のコンサートで70%入りくらいだった会場が、
120%くらいの入りになり、立ち見も出る。
何か熱いものがこみ上げてくるが、我慢する。
これから、演奏だ。熱くなるのはまだ早い。
ヒロミコールや、さらには「結婚してくれー」と叫ぶ人まで出て、
ものすごい状況で演奏を終了。
多分本番中に10人くらいに求婚された。初プロポーズである。笑

演奏を終わって、他のライブを見に行こうと、
ジャズフェス会場内をうろうろしていたら、
たくさんのお客さんに話しかけられた。
普段の私は、演奏中と演奏していない時のルックスがとても違うらしく
(服も着替えているし、さらに普段はあまり顔に緊迫感がないらしい)
演奏後うろうろしていても誰にも声をかけられない。
確かにさっきまで全身黒づくめだったピアニストが、
ドーナッツと書いた黄色のTシャツを着て歩いていたら気づかないのも仕方がない。
アジア人はそんなに珍しい人種ではないし、結構いるので、
混ざってしまうとわからないのだ。
アトランタジャズフェスでは、
「いやー、今演奏していた君と同じくらいの歳の子、良かったよ。見た?」
とお客さんに声をかけられた事もある。
でも、ここイスラエルでは、イスラエルにいるアジア人は、
私と白土さんだけではないか!と思うくらい、誰もいない。
なので、ドーナッツでも気づかれるのである。
白土さんなんて、みんなに「演奏よかったよ!」とほめられる始末である。

そして、歩いていたら、自分の母親と同じくらいの歳のおばさんに出会った。
彼女は、「I loved your show」と言った瞬間、ぐわーっと泣き出した。
そして、そのおばさんと一緒にいたおじさん、
友達のおばさんもつられて泣き出した。
今までずっと張りつめていた何かが音をたてて切れた。
思わず無言でおばさんとハグ。涙がこぼれ出てくる。
こんなに身近に世界の深刻な状態を感じた事はなかった場所で、
その中にまだ音楽を楽しもうと希望を持ってジャズフェスに参加し、
リゾートでバカンスを楽しみ、
人生を十分楽しもうと夢と希望を忘れていない人達がここに集まっている。
そのお手伝いができた事が、本当に嬉しかった。
この後、何人にも泣いた人に出会った。そして、自分も泣いた。

今回ここRed Sea Jazz Festivalでは、何かが私に味方をしていてくれたのだと思う。
何か運の神様に守られていたような気がする。
これだけたくさんいい経験をさせてもらったのだから。
これだけ素敵な経験を数日間ですればすごい事だと思うのだが、
まだこの素敵なミラクルは終わらない。
自分の後に出たサルサバンドを見ていたら、
リーダーにいきなりステ−ジから名前を呼ばれたのだ。
「ヒロミー!」
そして、ステージへ。何をやればいいの?とピアニストの人に聞くと、
どうやらスペイン語しか話さないらしく、会話にならず、
とにかく感覚で着いていくしかないという事になる。
女は度胸ということで、とても楽しいセッションになる。
後で写真を見て、ドーナッツの衣装でステージにあがった事に気づくが、
それもまぁいいとする。
ここでまたヒロミコールが起こる。
イスラエルの人にこんなにヒロミという名前を呼ばれるとは思わなかった。
みんなヒロミという名前を呼ぶのも、ほとんどの人がはじめてかもしれない。

この後「今日もジャムセッションに来る?」と何人にも聞かれ、
疲れはピークに達していたが、ここで行かねば女がスタるので、もちろん行った。
サルサのバンドの人達ともまた一緒に演奏をする。
そして、トニーマーティンとも一緒にステージにあがり、
さらにオリジナルを1曲やる。
客席から「I LOVE YOU!」と叫ばれ「I LOVE YOU TOO!」と返す。
何時間引き続けたんだろう。この日は。
朝7時のフライトでNYへ向かう予定で、6時には出発だった。
結局朝の5時まで弾いた。

イスラエルは、一生ものの経験をした。
人の優しさに触れた。
そして、心から世界平和を祈った。

8月5日

「試練のフジロック」

フジロックに行ってきました。
怒濤の二泊四日の旅。でも、今回これを体験してみて思った事。
下手に5日間くらい行くより、疲れない。
わけのわからない間に、長時間の飛行機に2回も乗るので、
気づいた頃には、家。
なんだか、夢を見ているような感覚でした。

14時間の飛行機移動を終え、いざバスで苗場へ。
最初にバスの運転手さんが、カラオケ用マイクで「出発します」のアナウンスをし、
トニー、マーティン大興奮。これって日本特有みたいです。
マーティンは予想通り、カラオケ用マイクを手に取り、
一人でスロバキア童謡を歌いだす。
しかも、これだけ旅をしていると、よく出る鼻歌にも慣れてきて、
そのスロバキア童謡を一緒に口ずさめた自分がいた。
もういつスロバキアに行っても、大丈夫である。

途中、雷雨だったのだけれど、この雷のおかげで、
見えないはずの山が見える、という不思議な体験をした。
ピカッと光るたびに、山の形が浮かび上がる。
なんとも神秘的な瞬間だった。
「今は、雷雨の中、ライブなのか・・・」

4時間半のバス移動を終え、苗場に到着。
時刻夜11時。ホテルにチェックイン。
部屋に入ってすぐ、レインコート持参で外出。
周りの人には「よく元気あるね・・・。チャレンジャーだなぁ」と言われるが、
明日は演奏終了後すぐに東京戻りだし、
夜のフジロックを味わうには今しかないのだから、仕方あるまい。
ひとりで行くのは心細いので、トニー、マーティンの疲れ具合チェックをした所、
トニーはかなりダウンしていたため、マーティンを採用。
「えー、今からいくの?」と愚痴を言われながらも、連行する。

雨はだいぶ小降りになっていたものの、道はぐちゃぐちゃである。
みんな、筋金入りのフジロッカーなお客さん達は、長靴持参。
私は、ジーンズを、かなりかっこ悪い位置までまくりあげて、探索開始。
とりあえず、人の流れに乗ってみる。
そうしたら、テント場のようなところに行ってしまった。
「テント券がないと入れません」。
どうやら、時間が時間だけに、人の流れに逆らわなければ、ライブ会場には
たどりつけないらしい。
人の流れに逆らっている数人を発見。彼らにこっそり着いて行く事にする。

まず目に入った、巨大なオブジェの数々。
アートの展示の横で、ライブをしていた。
ルーキー・ア・ゴーゴーという会場で、フジロックに出るのが初めてというバンドを
何バンドか見る。
彼らの、魂のすべてをかけたプレイに、共感。
気合いが入っている。
この気持ちは、ミュージシャンが一生持ち続けるべきものだな、と思う。
そのあと、また人の流れに逆らっている数人を発見し、こっそり着いて行く。

そして、レッドマーキーという巨大クラブのような会場に到着。
TOWA TEIがやっていた。踊り狂う人達が溢れる。
すごいエネルギー。一体感。ゾクッとくる。
音楽を愛してる人達がなんて溢れてる場所だろうって事を、実感。
ステージが終わり、帰ろうとしたら、ものすごい人の波。
帰る道のりはひとつしかないため、人の流れに乗りながら、ちょこちょこ進む。
ちょこちょこ進んでいる間に、足は泥だらけになる。
途中、道で寝ている人や、道に設置されている蛇口で髪を洗っている人、
川で足を洗っている人など、野性的な光景を目にする。
音楽に対する情熱をひしひしと感じる。
そして、さらに歩いていたら、巨大なテント群が視界に。
こんなにギッシリ詰まったテントを見た事がないという程の数である。
ここに来ているお客さんの相当な覚悟と、気合いに圧倒されながら、
どろどろになった靴を見て、外出して良かったな、と心から思う。
これって、明日ホテルから車で、
アーティスト用の道を通ってステージまで行ったら、
絶対体験できない事である。
少しでも、お客さんの気持ちを理解するのは、演奏者にとって大切な事だと思う。
良かったなーと満足しながら、ホテルで靴をゴシゴシ洗い、その日は終了。

フジロックというイベントは、サウンドチェックもリハーサルもない、
本番一発勝負のイベントで、それがまたなんともない気合いを生む。
バンド入れ替えをしている間に、ピアノがどういう状態なのかご機嫌伺いに行く。
どうやら、機嫌はまずまずらしい。
機嫌の悪かった所を、調律の"なんでも治せる万能お医者さん"小沼さんに伝え、
本番を待つ。
だんだんテンションがあがってくる。
本番開始。
会場が一体化していくのを体で感じる。
そして、事件は起こった。
4曲目の『カンフーワールドチャンピオン』の時・・・。

「One, Two, One, Two, Three, Four,
びよーーーーーーーーーーーーん」

びよーん!?
パーカッシブなリフが始まるはずが、びよーん?
キーボードの音が伸びたまま、治らない、その癖、電源は切れている。
おかしい・・・・。
スイスのヒューズ以来のピンチである。ノード君、ご機嫌ナナメ、か!?
電源を入れ直してみる。普通に戻った。
良かったーと思い、気をとりなおして、カウント。

「びよーーーーーーーーん」

!!!
今日の主役は、オレ!と言わんばかりのノード君。
また、電源が切れている・・・。
「あちょー」と言ったり、拍手をしてくれたりして、
こんなトラブルまで盛り上げてくれるお客さんに涙が出る。
私、この曲をフジロックでやるのが夢だったのよぅ。
二泊四日でここまで来たのよぅ。お願いだから治ってよぅ。
願いをこめて、電源を入れ直してみる。普通に戻った。
少し弾いてみる。大丈夫そうだ。
カウント開始。
なんとか、治った。

1分後、また切れる。
電源を入れ直しては、切れ、入れ直しては、切れの状態を演奏中に繰り返す。
演奏は止まらず、切れて再起動している間はピアノでつないで、乗り切る。
キーボードが完全にソロになる部分がこの曲には4小節ある。
ここで切れたら、曲が止まってしまう。
心から、「頼むよ、ノード君」と言い聞かせて、4小節の瞬間がやってくる。
伊藤みどりの3回転半くらいの緊張が走る。
やる時はやるノード君。乗り切った!
その後、また切れて、キーボードでいつも弾いていたエンディングもピアノで弾く羽目になり、
さんざんなカンフーに仕上がる。

正直、カンフーがやりたくて、フジロックに出たかったと言っても過言ではない。
それなのに、カンフーで、しかもフジロックで、壊れたノード君。
あまりのショックで、次の曲に怒りをぶつける。
怒濤の『ダンサンド・ノ・パライーソ』になる。
あんなカンフーだったのに、アンコールをくれるお客さん。本当にかたじけない。
何がなんだかわからないままに、ライブが終了。
悔しさで胸が一杯だった。
ほんとに、ほんとに、悔しかった。
なんで、今日なんだろう、とか、
なんで、あの曲で壊れるんだろう、とかいろいろ考えた。
きっと、神様仏様が、試練を与え続けているんだと思う。
「本番中に、何が起きても、ちゃんと乗り切れる経験を積め」
という事なんだと思う。

その後、いろいろこれからの防災対策を考えた。
「もしベースの弦が切れたら」とか、「ピアノのいすが壊れたら」とか、
「ドラムに穴があいたら」とか。
もっと発展して、「演奏中に舞台セットが落ちて来たら」とか、「停電になったら」
とかまで考えてしまった。
何が起きても、演奏し続ける事は、最低限のマナーである。
よく学んだフジロックであった。

結局ノード君は、中のネジがゆるんではずれていた模様。
旅の疲れだったのかもしれない。
ずっとこれだけ一緒に旅をしていれば、ネジの1本や2本、ゆるみます。
ノード君も全く肝心な時に気をゆるめてもらっては困ります。
これからはちゃんと定期検診へつれて行きます。

今回一番感じた事。それはやっぱり、お客さんの暖かさ。
あの時、キーボードが壊れた事にたいしてブーイングしても良かったはずなのに、
笑って流してくれて、さらに、暖かい目で見守ってくれたお客さん、
そして、あの過酷などろどろ山道のなか、
一番ゲートから遠いステージまで歩いてきてくれたお客さん。
頭があがりません。本当にありがとうございました。

7月4日

「ロンドンへの長い長い旅」

モントリオールジャズフェスティバルを終え、
NYに戻った次の日、ロンドンに発つ。
ロンドン行きの便は、夜の11時半だったのだが、空港に着いたら
「チケットがオーバーソールドなので、席がありません。
ゲートで名前が呼ばれるのを待ってください」
オーバーソールドと言うのは、航空会社が時々起こす事態で、
おそらくキャンセルなどが出たときのために、
本当に用意できる席の数より多くの席を売って、
ギリギリまで満席で飛ぼうとする事で起こる事態である。
しかも、この日は7/2。
アメリカの独立記念日が7/4の月曜日という事もあって、
いわゆる連休なので、休みを使って自分の国に帰る人が多い。
空港は、この上ない混雑ぶり。

時間は夜10時半。飛んでロンドンに着くのは、おそらく午前11時頃。
サウンドチェックが5時からなので、このフライトに乗らないわけにはいかない。
ゲートでの必死の交渉も、
「席が空いたら名前が呼ばれるので、待って」と言われ、
「席が空かなかったらどうなるの?」と聞くと
「とにかく待って」
の一点張り。
「ビジネス・トリップ」という事を必死に伝え、ゲートで座る事約2時間。
数々の名前が呼ばれだす。
「マイケル・ジョーンズ、カタリナ・ジョンソン・・・・」
15人ほどの名前が呼ばれ、「今呼ばれた人達は、ゲートまで来てください。」
「ヒロミ・ウエハラ」呼ばれず。涙。

呼ばれなかったが、ゴリ押しでゲートに行く。
チケットを差し出して、「席がないと困る」と言うと
「はーい、他に呼ばれた人はー?」
完全無視。
全員呼ばれた人にチケットが配られたようなので、再びゲートへ。
「まだ名前を呼ぶの?それとも、これで終わり?」と聞くと
「呼ぶかも」
かも!?
プチッと何かが頭の中でキレそうになるが、
ここでキレて、意地悪をされ、飛行機に乗れなくなったら、大変である。
ゲートから離れ、何度も深呼吸。忍耐である。

「今日飛ばなくてもいいお客様は、明日の便に乗っていただければ、
500ドルのチケット割引券を渡します。」
とのアナウンスが入る。
あまり人の動く気配なし。確かに、せっかく空港まで来たのに、面倒なのだろう。
しばらくたって
「ディミトリ・ケイン、エレイン・ヴィトウス・・・・・」
さらに15人ほどの名前が呼ばれる。
ここまで来ると、合格発表でも待っているかのようだ。
神様仏様。

「ヒロミ・ウエハラ」またまた呼ばれず。涙。

ライブに穴を開ける事だけはできない。他の対策を考える。
もし、朝7時の便に乗れば、夜6時にはロンドンに着く。
サウンドチェックには間に合わないまでも、8時半開始のライブには間に合う。
ゲートでインターネットをし、他の航空会社の明日の航空券の予約状況を調べる。

そのときである。

「ヒロミ・ウエハラ、トニーグレイ」
(マーティンは他の便で、ロンドンに向かっていました)

「イエス!」
ワールドカップで決勝ゴールを決めた選手のようなガッツポーズでゲートに向かう。

晴れて席を手に入れる。
それにしても、後々考えてみれば、ちゃんと2ヶ月前にチケットを購入しておき、
2時間半前にチェックインしたのに、おかしな話だ。

飛行機に乗り込む。この時点で、1時間遅れ。
夜11時半出発の飛行機に乗れたのは、12時過ぎだった。
さすがに疲れが出たのか、ふと眠りに落ちる。
パッと目が覚めて起きる。1時間くらい経っただろうか。
ふと外を見回して、何かに気づく。

まだ地上。

時間をみると午前2時である。
なんでも、機体に何らかの問題があり、それを解決しているのだそう。
何度もアナウンスが入る。
「まだ問題が何かが究明できないので、究明でき次第解決し、
一刻も早い離陸を目指します。」
問題が何かもわかっていないらしい。
このまま、機体の問題がわからないので、
他の航空機が利用できるようになるまで飛べないなんて事になったら、大変。
どうにもならないので、ひたすら待つ。
こういうときの30分ほど長いものはない。
午前2時半。「問題が究明できましたので、今それを解決しています。」
午前3時半。「問題が解決できました。今から離陸します」

やっと離陸。
ロンドン到着午後3時。
頼りにしていたロンドンでの午前11時から3時までの仮眠がなくなる。

ロンドン到着。
税関審査。
「労働許可証は持っていますか?」
「こちらにプロモーターの方から送られていると聞いています」
「ちょっと待ってください。」

ロンドンに着いたんだ。いくらだって待ってやる!

「届いていません。」
え−!?
「プロモーターの連絡先はわかりますか?」

連絡先を教えると、別室につれていかれる。
トニーはイギリス人なのでラクラククリアである。

この税関の別室、何度が経験したが、
自分が外国人である事を思い知らされる一番の場所だ。
不安そうな外国人が列をなす。
民族衣装なんかを着た人達なんかが、さらに場所の雰囲気を盛り上げる。
携帯電話は使えない。外との連絡が一切取れない、
イギリスでもアメリカでもない場所。
名前が呼ばれるのをひたすら待つ。また合格発表待ちである。
30分くらい待っただろうか。

「ヒロミ・ウエハラ」
見事合格。

プロモーターと無事連絡が取れたらしく、解放される。
イギリス到着。ホテルにに到着したのは4時過ぎ。
すぐクラブに向かう。
サウンドチェックし、ごはんを食べ、演奏。

こういう時の演奏が、やけに盛り上がるのは、なぜだろう。
全身疲れて、ひとつのエネルギーも残っていないはずなのに、
お客さんの笑顔に出会い、ピアノを前にした瞬間、疲れが吹き飛ぶ。
こうやって待っていてくれる人達がいるから、
ああいった旅も乗り越えられるのだと。
席を確保してくれたのも、税関を通してくれたのも、
お客さんなのかもしれないと思った。

ロンドンのコンサートに日本の昔の友人が来てくれていた。
彼女の家と私の泊まっていたホテルがすごく近かったのもあって、
少しだけお邪魔したのだが、この時彼女が、
バテバテに疲れ、おなかがぐぅぐぅだった私にごはんを作ってくれた。
札幌出身の彼女による特製味噌ラーメン。
出来合いのスープを使うのではなく、ちゃんと味噌、豆板醤、コンソメなど
いろいろなものを混ぜて作った彼女のオリジナルスープである。
激ウマ!
なかなか家のラーメンでスープを飲み干す事はないが、これは飲み干した。
夜12時過ぎにロンドンで、これだけ美味しいラーメンが食べれた事のへの喜び。
バッドラックは必ずグッドラックに繋がっていると確信できた一日であった。
ゲートで名前が呼ばれず落胆していた自分に伝えたい。
「最後には美味しい味噌ラーメンが待ってるよ」と。

5月27日

「美味しいミネアポリス」

ミネアポリス公演。NYCから、飛行機で移動。
NYC−ミネアポリスが、なんと一人5000円!(税込)
最近、航空券を安くゲットするのもプロ級になってきて、
旅行代理店を開けそうな勢いである。
今回見つけた航空会社は、ミネアポリスが本拠地。
その名も「サンカントリーエアライン」。太陽の国航空・・・。
聞いた事がないけれど、安いのでヨシとする。
なんと、この値段で、2時間弱のフライトなのに、サンドイッチが出た!
感無量である。しかも、おいしかった。ビバ太陽の国。

ミネアポリスに到着。
宿泊した、DOUBLE TREE HOTELは、大好きなホテル。
なぜなら、チェックイン時に、暖かいチョコチップクッキーが出るのである!
NYCを出たときから、このチョコチップクッキーを楽しみにしていた。
言わないと、出してこない支店もあるので、必ず頼んで、もらう事。
旅の疲れは甘いもので癒す。

今回のギグは、ミネアポリスにある、ダコタバー&グリル。
ウェブサイトが、DAKOTACOOKS.COMだけあって、料理に力を入れているクラブ。
オーナーが、アメリカのBEST JAZZ CLUBに雑誌で選ばれたと喜んでいた。
どこのジャズクラブでも、はずれのないシーザーサラダなんかを頼むのだけれど、
このクラブは別格。
メニューの気合いが違う。
例えば、シーザーサラダでも、
「サラダ、シーザードレッシング和え、スパイスをからめたクルトン乗せ」
のように、こだわりが見られる。
私は、「海の幸たっぷりシーフードチャウダー」と
「マッシュルームニョッキ(パスタ)のブラウンバター添え」を頼んだ。
何が出てくるのか、正直よくわからなかったが、パスタが食べたかったので、挑戦。
トニーマーティンも、前菜ーサラダーメインコースーデザート、フルコースで頼む。
3人とも欠食児童のように、食べる。
トニーの頼んだ「100%アンガスビーフステーキ、2度焼いたポテト添え」
を一口食べたのだが、びっくりするほどおいしかった・・・・。
これにすればよかった。
パスタもものすごくおいしかったのだが、
アメリカでここまでおいしいステーキを食べた事はない。
外はよくやけていて、中は程よくジューシー。料理の鉄人である。
食べものの話ばっかりになってしまったけれど、
摂取カロリーを全消費すべく、熱血演奏。
去年、ミネアポリスのジャズフェスに来てくれたお客さんがたくさん来てくれて、
とてもウェルカムな雰囲気で、楽しい演奏ができた。
セットの合間にCDを売る。
CDを計120枚注文したつもりが、
間違いでアナザーマインド、ブレインとも120枚ずつ来てしまった。
手持ちで、さらにこの後のダラス用に120枚もってきていたので、合計360枚。
これは、がんばって売らないと、持っていくのが大変・・・。
この日は、42枚CDが売れた。42枚分軽くなった。
ホテルに戻って、明日はステーキを食べるぞ!と誓い、寝る。

ミネアポリス2日目。
起きて、昨日のライブを聞き直して、チェックを入れる。
今日は、昼間2時間クラブを使える事になったので、リハをする事にする。
リハのためにクラブに行ったら、マーティンが、
ものすごくおいしそうなタコスを食べていた。
クラブの隣にある、メキシカンだそう。
トニーも食べたとの事で、二人があまりにおいしいおいしい言うので、
ものすごく惹かれたが、夜のステーキに備えるために、我慢する。
リハを無事に終え、ステーキを注文。

ステーキ登場。
昨日の夜から楽しみにしていたものを、
目の当たりにするのは、なんとも嬉しいものである。
「おいしい」「ああおいしい」。何度も繰り返しながら、食べた。
思わず、調理場まで足を運び、シェフにお礼を言いにいった。
そして、またカロリー消費の演奏。
オーナーに言われた。「こんなに年齢層の広いのはなかなかないよ」。
会場を見渡すと、高校生から、80歳までいる。
みんな、去年のジャズフェスで見てくれたそうである。
80歳のおばあちゃんが、演奏終了後、
涙を流しながら、話しにきてくれて、
「生きる活力をもらった。ありがとう」と言ってくれて、
こちらが活力をもらう。
ライブ会場でひとつになる感覚。これだからライブはやめられない。

この日は、スタッフの人もたくさんCDを買ってくれて、
55枚CDが売れた。55枚分軽くなる。
すごく楽しい二日間だった。
最近引っ越しもして(ねずみハウスとさよならしました)、
疲れがたまっていたのだが、疲れを癒してくれるのは、ライブである。
よく「このスケジュールで疲れませんか?」と聞かれるけれど、
ライブをすると、エネルギー補給ができる。
お客さんがエネルギーをくれる。
もちろん、睡眠、バランスのいい食事は必要不可欠だが、
ライブをすると、エネルギーがもくもく湧いてくる。

ホテルに帰って、263枚のCDをスーツケースに詰め込む。
行商のようである。半端なく重い。
CDが売れると、お客さんが手に取ってくれたのはもちろんだけれど、
さらに荷物が軽くなるので、嬉しい。
売れ残ると、本当に罰ゲームのようで、「まだまだ修行が足りんのじゃ」と、
重い荷物を持って、移動。

今はダラスへの移動中で、飛行機の中。
雲が厚くて、ガタガタ揺れている。飛行機は何度乗っても慣れない。
最近「グッドラック」というドラマのDVDを友達にもらって、見たのだが、
ものすごい乱気流を乗り越えるシーンがあって、飛行機の中で乱気流にあうと、
そのドラマのワンシーンを見て、これで乗り越えられてるんだから、
大丈夫だ!と思えるように、
いつもそのドラマのその回のDVDを持って歩いている。
「それだけ飛行機に乗っているんだから、余裕でしょ?」とよく言われるのだが、
これだけは本当に慣れない・・・。
父からもらったいろんな神社のお守りも10コ程持ち歩いている。
このお守りセットを忘れるとパニックである。
なので、いつもパイロットには心をこめてありがとうを言って降車する。

さてと、今日はダラスでの公演。また気合いを入れてがんばります。

2月2日

「ひろみとジェリー」

いつの間にか、二月になってしまいました。
更新が不定期で、ごめんなさい。

さて、12月の終わりに、やっとNYに引っ越してきました。
ブルーノートの公演では、自宅通勤のすばらしさを体験。
公演が終わって、家に帰れるというのは、これ以上ない贅沢です。
このブルーノートの公演中、私の家は、まだ引っ越しの荷物だらけで、「毎日ひと箱片付ける」を目標に、整理整頓をしていました。

最終公演の前の日の事です。
疲れたな−、パンでも食べるか・・・と家に帰ったら・・・。
パンが半分ない。
どろぼうか!?
何も盗まれた形跡はなし。
って、普通パンを半分だけ盗む泥棒なんて、アイツくらいしかいません。
ねずみです。
出ました。

パンの袋がびりびりにやぶられていて、凶暴な事件現場だっただけに、疲れてたのもあって、腰をぬかしてしまいました。

パンの袋を、おそるおそるつまみ、外のゴミ箱へまず捨てます。
そして、とりあえず、自分の存在を知らしめるために、足をバタバタならします。
パンパンと手拍子を打って、さらに追い詰めます。
と言っても、きっとこの頃には、家の近くにはいないのがねずみ。
ジェリーでおなじみの、足の早さです。

ジェリーなら可愛いけれど、こっちのねずみは可愛くないです。
ふとっちょだし、カタカタ、というより、ドタドタ、という足音です。
日本というのは、とても衛生環境の整った国なので、ねずみを見かける事なんてあまりないですよね。
こっちには、たくさんいるんです。
ふつうのコンビニなんかに行くと、ねずみ退治グッズがわんさかありますよ。

とにかく、どうやって家の中に入ってこさせないシステムを作るか、という事が最重要項目であり、それについて、最近ねずみ退治したトニーに聞いた所、「罠をしかけるか、あ、あとはりつくやつもあるよ。」
聞いただけで、鳥肌です。

無理!

何が無理って、つかまえたねずみを処理するのが無理だし、基本的に、動物どころかアリんコさえも殺せないのです。
昔から、机の上にほったらかした飴に群がったアリんこの行列を見かけると、その飴をわざわざ外に移して、殺さないようにしていたくらいです。
アリの飴にたどりついた時の喜びなんかを考えると、殺虫剤とかかけれないです。
ねずみも同じ。「食べ物の匂いがして、ここまでやってきたのに、罠があるなんて聞いてないよー。思わせぶりな事をしないでくれ!」
って感じでしょう。
彼等も毎日一生懸命生きているかと思うと、殺せません。
でも、共には生きれません。

なので、まず、食べ物の匂いが一切しないように、食べ物をプラスチックの箱に収納。
それと、コンセントに差す、ネズミの嫌がる高音波の出る装置があるそうで、それの購入を決めました。
もうひとつは、開けたものはすぐ食べる。という事。
クッキーなんかも、開けたらひと箱さっさと食べます。競争相手がいるので。
食べられてなるものか!

まぁ、こんな事をしていても、らちがあかないなと思っていたら、アメリカ生活の長い友人に、「壁の穴や、床のギャップを塞いでくれる人にお願いしたら?」と言われ、とりあえず、それを頼む事にしました。

まだ、その人とスケジューリングができないため、毎日家に帰ると、ドアをわざとガチャーンと開け、「If you want to survive, you should go now!」(生き延びたかったら逃げろ!)
とアメリカのねずみという事で、一応英語で声を上げ、ドタドタ家に上がっています。
でも、ねずみのいた形跡はなく、多分ここには食べ物がなくなったと察知し、来なくなったものと思われます。
でも、やっぱり怖いので、ねずみが来れないようにしようと思います。
ほんとに怖かったな・・・。
去年は、部屋が冷凍庫になるし、毎年、年始は全くろくな事がありません。

今はウィーンに来ていますが、今回ツアーに出る時、家の食べ物は全部処分してきました。
御心配なく。
ウィーン公演も気合い入れてがんばります。

2004
12月20日

「ノード君ピンチ」

2004年の、全てのギグが昨日終了しました。
今は、スイスのチューリッヒ空港。
さすがに、1年分の疲れが出たのか、体が重い。
そして、やっぱりこういう時に限って、空港は雪。
飛行機は遅れて、待ちぼうけ。
早く帰って、休みたい所なのに、なかなかうまくは行きません。

1年のしめくくりのライブは、スイスの首都ベルンでの一週間でした。
これといってトラブルもなく、いつになく順調だったスイス公演。
事件は、最終公演の前の日に起きました。

私は、キーボードの(ノードリードという種類で、愛称ノード君)変電気をホテルに忘れ、クラブに到着してから、クラブで変電気を探さないといけない始末になりました。
変電気っぽいものがあったので、よし!と思い、プラグイン。
ここポイントです。
絶対「ぽい」ものを使ってはいけません。

ブチッ。

一瞬電気の付いたノード君でしたが、それからビクともしません。
トニーに「あれ、電気が一瞬着いたのに、消えちゃった」と言ったら、「え!?」と驚愕の表情。
「まさか、コンバーターじゃなくて、アダプター使ったんじゃないの?」
(コンバーターというのは、変電気。アダプターというのは、ただのプラグです)
私「え・・・・」
トニー「それ、壊れたと思う」
私「え・・・・」
トニー「前、同じ事して、ギターのエフェクトを全部壊した人知ってる。」
私「え・・・・」
トニー「だって、120Vの所に、240Vの電流が流れたんだよ。二倍だよ。二倍。」

パニックです。

私「嘘だー、そんな簡単に壊れないよ。楽器だよ。」
トニー「電気機器なんて、そんなもんだよ」
ここでマーティン登場。
マーティン「どうしたの?」
私「間違えてアダプターに接続して、一瞬電気が着いたと思ったら、消えてそれから動かないの」
マーティン「あー、死んだな。」
私「えー!?」
マーティン「俺、買ったばっかのスピーカーを壊したもん。一瞬でゴミよ、ゴミ。」
私「えー!?」
ここで、マーティンらしい最後の一撃です。
マーティン「それ、もうゴミだよ、ゴミ」

涙。

結局その後、何度も試したのですが、息を吹き返す事はありませんでした。
その日は、結局ピアノだけで乗り切らなくてはいけなくなり、アレンジを本番5分前にいろいろ変えました。
もちろん、カンフーなんかは出来ませんでしたが、何も知らないお客さんは、総立ちになって、喜んでくれました。
私としては、なんとも、満たされない気持ちでいっぱいでした。

クラブの人に相談した所「明日は、土曜日だし、ノード君を輸入している会社も、営業していないはずだから、もうアメリカに帰って、なんとかするしかないだろう」
えー!明日、もう一公演あるのに、ここであきらめるのは、嫌です。
そこで、私に舞い降りてきた、アメージングアイデア!
「そうだ!時差を使うんだ!今アメリカに電話すれば、まだ金曜の営業時間のはず。」
というわけで、アメリカのノード君輸入会社に電話。
(ノード君はスウェーデン生まれ)
電話しました。係の人に話したら、
「あー、ダメだね。アメリカに持って帰って、なんとかしてよ。」

涙。

でも、ここでアメリカで5年生活してきて、得た知恵登場です。
アメリカでは、金曜日の営業終了時間ギリギリに電話しても、もうアフター5の事で頭がいっぱいで、仕事をおざなりにする人が多い!
今まで、何度これで痛い目にあった事か!

こうなったら、日本だ。日本のノード君輸入会社だ!
日本だったら、土曜日でもきっと仕事をしてたりするはず・・・。
テュルルルル・・・。テュルルルル・・・。
「もしもし」
ビンゴー!!!

さすが、勤労大国日本!
ビバ日本!
すみません。ノードリードの担当の方はいらっしゃいますか?」
事情を説明し、直る可能性について、質問。
「あー、ヒューズが飛んでいるだけの可能性はあります。
ここをマイナスドライバーで開けて、ヒューズを交換してみてください。」
とっても親切な対応。ほんと、日本っていい国だなぁ・・・。

次の日、朝一番で、街に出かけます。
ノード君を持って、まず電気屋さんへ。
「あー、うちにはヒューズはないよ。ここのお店へ行って」
次の電気屋で。
「あー。うちもヒューズはないなぁ。ここなら工具専門だから、あるかもね」
次の電気屋で。
「ヒューズ?あー、このサイズはちょっと特別だねぇ。うちにはないよ」
もう、くたくたです。お店を探すのだけでも、周りはみんなドイツ語だし。
ノード君は、小さいのですが、こっそり重いのです。20キロくらい。

それで、近くにあった楽器屋へ。
「あー、ちょうど今その種のヒューズ、切らしちゃってるんだよー」
くたくたになった私を見た楽器屋のおじさんは、
「楽器を置いて、ヒューズだけ買いにいって、ここで試したら?」
と提案してくれました。
そして、ヒューズを買える電気屋さんを教えてくれます。
到着。
「あー、これは、ちょっとサイズが大きいな、うちにはないよ。
でも角を曲がった電気屋さんにあるかもしれないよ」
またか・・・。もうブーイングもいいとこです。
秘密アイテムを探すロールプレイングゲームのようです。

そこで最後にたどりついた小さな電気屋さん。
初老の男性3人がお店をやっていました。
見た事もないような、マニアックな電気部品がそろっていたので、これはイケる!と思い、最後の希望を託しました。
「ちょっと待ってね。」
待つ事10分。この間、世の中に存在する全ての神様仏様にお祈りをしました。

出たー!!!

ありました。ヒューズ!見つかりました。
そして、クレジットカードで払おうとしたその瞬間、
「うち、カードは使えないよ。」
えーーー!!
なんせ、最終日だったので、
現金なんて一銭も持っていませんでした。
「だって、カードにかかる手数料の方が、ヒューズより高いんだもの。
これ、100円だよ。100円」
「・・・・・。」
せっかく辿り着いたのに。
うなだれていたら、

「よし、いいよ。あげるよ。」

おじさん最高。アイラブユー。
いつか、この100円を返しに行く事を誓い、お店を出ます。
楽器店に戻り、ヒューズの交換をし、「変電気」を使い、プラグイン。

動いたーーーーーーー!!!!(歓喜)
「YOU SAVED MY LIFE!!」(叫び)
狂喜乱舞。
いやー、長かった。ネバーギブアップです。
もう、ベルンの電気屋さんのことならおまかせを。(笑)

その夜のノード君は絶好調、2004年を締めくくるのに
ふさわしいライブとなりました。
人の優しさに触れ、生き返ったノード君。
ノードリード担当の芦沢さん、ありがとう。
一生、この恩は忘れません。
あの時、芦沢さんの親切なアドバイスがあったからこそ、ノード君は、無事息を吹き返す事ができました。
ありがとうございました。
楽器屋のおじさん、ヒューズをくれた電気屋さんのおじさん。
みんな、ありがとう。

人に支えられて、音楽をやれている事を、再確認した、2004年最後のツアーでした。
2005年も、人への感謝の気持ちを忘れず、一生懸命がんばりたいと思います。

Merry Christmas & A Happy New Year!!

11月20日

「BRAIN TOUR in JAPAN 無事終了」

ツアーが終わりました。
足を運んで下さったみなさん、本当にありがとうございました。
みなさんのおかげで、ほんとに素敵な時間を過ごす事ができました。
今回のツアーは、アメリカ&ヨーロッパの現地調達ツアーと違い、サウンドの方や照明の方もみんな一緒に各地を回るという形のもので、メンバーがトリオではなく、ビッグバンドになったような感覚で、たくさんの人達とひとつのものを創りあげることの喜びを、ひしと感じました。
ああいった体育会系のノリは、とっても好きです。
なんだか、組体操みたいでした。ピラミッドのような感じ。
最終公演は、私がピラミッドの一番上に登って、ポーズを決めたような感覚でしょうか?
私は、お客さんの笑顔に触れられる瞬間が一番幸せです。
ライブってダイレクトなエネルギー交換です。
たくさんのエネルギーをありがとうございました。
ツアーを一つ終える度に、自分の未熟さを実感します。
これを実感する事が、ひとつのステップアップなのだと信じ、克服&また新たな発見を求めて、次のツアーに出かけたいと思います。
気合い入れてがんばるぞー!!

10月29日

「ザ・レジェンド」

言葉に表すのが、とっても難しい、一生に一度の体験をしました。
オスカー・ピーターソン。
私は、今月の初めに、彼のオープニングアクトを務めさせて頂き、
本当に幸せな1週間を過ごしました。
彼がステージに出ていく時、私は手が痛くなる程の拍手をしながら、
毎回涙を流しました。
彼が、今までどれだけの人に幸せを与えてきたか、そして、まだそれは続いていて、
今それがまさに始まろうとしているその瞬間です。
彼もファンに対して、本当に深い感謝の気持ちを持っていて、ファンの人達も、
深い感謝と尊敬で、オスカーを迎える。
私も含めて会場全体が、彼の一音一音に歴史を感じ、
彼の成し遂げてきた偉業に深い尊敬を捧げ、感謝の気持ちで拍手を送る。
これって、もうライブとかコンサートとか、そんな言葉じゃ片付けられない何かです。
Deep Spiritual Experience。
心に響く感動体験。
私は、毎回コンサート終了後、オスカーにどれだけ感動したか伝えたいのに、
言葉にならない、という日が続きました。
言葉では、伝わらない気がした。
だから、彼の目をじっと見つめて、握った手に力を込めて、
全身全霊のありがとうを伝えました。
嗚呼、ほんとに幸せだった。
オスカー、ほんとに、ほんとに、ありがとう。
心から、愛と感謝を込めて・・・。
この1週間の思い出を胸に、またコツコツがんばります。
来週からヨーロッパ。修行の旅は、続きます。

6月28日

「プロペラと絶景とディスコ」

普段個人旅行に行く時なら、ここはこういう気候だから、
こういう服装で〜という事ができるのだけれど、
ツアーに出ていると、明日はどこだっけ?と
毎日スケジュールに追い付いていくのが精一杯で、
明日は明日の風が吹くさ、となりがちです。
今回も、「コロラドに行くらしい」という事しか把握しておらず、
デンバーに着いて、さぁ乗り継ぎだ、と思ったところ、
1ゲートから5分おきに飛行機が飛んでいるゲートに案内されました。
むむっ。これはアヤシイ。

ゲートをくぐると、ずらっと並んだプロペラ機・・・。
久しぶりに見ました。プロペラ。
久しぶりに乗りました。プロペラ。
「怖過ぎ」です。
これまたプロペラの真隣の席で、振動がブンブン。
面白いくらい揺れます。
あまりに怖かったので、イメージトレーニングを開始。
「これは、遊園地の乗り物だ」とか、
「なんてことないよ。飛行機って揺れても平気だよ」と
独り言を繰り広げているうちに、1時間が過ぎ、
なんとか着陸。

着陸した瞬間、大きな頭痛に襲われます。
緊張しすぎたか?と思っていたら、
トニーが「なんか苦しい」と言いだします。
確かに、息が続かない・・・。疲れてるのかしら?と思い、
バゲージクレームへ。
お迎えのおじさんに会い、話を聞くと、
ここは高度2000メートル。
なるほど!それでなのか!
おじさんは、ふつうの街に行くと、頭痛が起こるそう。
人間の適応能力ってすごいです。

外に出ました。
涙がポロポロ。
びっくりしました。驚くべき絶景。
こんな絶景、見た事ないほどの絶景。
日がほぼ落ちていて、空は濃い青、山は黒。
ブルーブラックの世界が広がります。
景色を見て涙したのは、人生で数える程。
それくらいの絶景だったのです。

感動したからといって、頭痛が消えるわけでもなく、
ホテルは少し低いところにあるという事だけを希望に、
進みます。
そして、つきました。グレンウッドスプリングス。
その日は、疲れたので、次の日へー。

朝起きたら、いかに自分が山に囲まれているかを再認識します。
空気がおいしい!
フロントのおばさんに聞いたら、
ここは「温泉」街なのだと!
スプリングス=ホットスプリング=温泉。
アメリカに温泉が存在することは小耳にはさんでいましたが、
まさか思いがけず来てしまうとは思いませんでした。

午前中は、山に登ります。
旅先でも散歩を欠かさない私。
こういう場所に来たら、やっぱり山登りです。
山の高さがとてつもなかったので、
行きはトラムで登り、帰りを歩きにします。
トニーは、日焼け止めをしなかったため、
その日の夜には、真っ赤になっていて、こげていました。
いたそうだったなぁ・・・。可哀想に。

その後、さっそく温泉へ。
ここが、やっぱりアメリカ。
温泉といっても、竹の「カコーン」というのがあるわけでもなく、
目の前に広がった巨大露天風呂。
というより、巨大温泉プール。
みんな、浮き輪持ってるし、ボールは飛んでるし。
夏のものすごい暑い時に、ものすごい熱いお湯で、スポーツするっていうのは、
なんだか笑えました。

さて、なんだか遊んでばっかいるように見えますが、
これ全部で4時間です。
オフがなんせ少ないので、集中的にがんばって遊ばないと遊べません。
せっかく新しい土地に来たのだから、いろいろ見たいです。
前、バルセロナに行ったときは、二時間しかオフがなく、
ガウディの建築が有名だ、という事だけが頭にあり、
「ドンデガウディ?(ガウディどこ?)」という怪しいスペイン語を
街で話し続け、ガウディを二時間探し続けましたが、見つけられませんでした。

さぁ、今から仕事仕事。

待ちに待ったライブは、野外でありました。コロラド川の真ん前。
演奏してると、壮大な山々と川が見える。どうでしょう!これ!
こんな、気持ちいいライブ、なかなかないです。
ぐわーっと盛り上がって、どんどん熱くなる会場。
前の方の人が立って踊り始めました。
そして、踊りたい人がどんどん集まってきます。
ザ・野外ディスコ!!
これまた老若男女!温泉につかりにきてるお年寄りから、
それに便乗してついてきた、孫、
近所の高校生。
みんなが歌えや踊れや。
正直、ピュアな感動でした。
山、川、きれいな空気、幸せな人々。
なんて素敵だろう。

この前日記を書いたばかりなのに、
今回の事はどうしても書き留めておきたかったので、
がんばって書きました。
もう遅いので、寝ます。
それでは。

6月22日

「BRAIN TOURスタート」

いよいよ、ツアーがスタートしました。
アトランタから、始まり、ニューヨークを終え、今回のツアーは、ニューヨーク〜クリーブランド〜ミルワーキー〜デトロイト。
旅行記でも書いてみるとします。

まず最初は、クリーブランド。オハイオ州の街です。
クラブについて、サウンドチェック。
本番1時間半前から来ているお客さんグループがいる!
と思ったら、去年クリーブランドでライブをした時に来てくれていたお客さんでした。
彼等は、ものすごくライブを盛り上げてくれ、こちらが拍手喝采したいくらい。

とっても、素敵な応援団。
家族や友達のいない街で、こうやって応援団がつくと、なんとも嬉しい、暖かい気持ちになります。
ライブって、あくまでパフォーマー+お客さんで一緒に造り上げるものだという事を、再確認した瞬間でした。
帰る時に「それじゃ、また日曜日ね!」と言われ、
「え!?デトロイトも来るの?」
「もちろん!300マイル運転して行くさー」(気さくなおじさんたち)

クリーブランド2日目、日本人のお客さんを発見!
こういう予測しない所で、日本人の人に会うと、本当に嬉しいです。
なんとも言えない、「ホッ」。
私は日本人だなぁ〜なんて、改めて思ったりします。
彼等は、大学の研究生だそうで、ライブ終了後話し掛けてきてくれました。
またまた、とっても素敵な人達。
こうやって毎日疲れた体を、お客さんが癒してくれます。
支えられて、毎日がんばれる、と思う瞬間です。ありがとう。

ライブ終了。バテバテで、ホテルへ。
ドラムのマーティンが、コンビニへ寄りたいというので、ホテルの近くのコンビニで降ろしてもらう事に。
24時間のはずのコンビニがしまっています。おかしいな。
仕方ないのでマーティンは、クラブオーナーにもう少し先のコンビニまで連れていってもらえる事になり、
とりあえずホテルに私とベースのトニーは戻ります。
あれ?ホテルの様子がおかしい。
やけに暗い・・・。

「停電」

ストームで停電です。
そういえば、行く時、雨が強過ぎて、ワイパーを最速にしても、前が見えないという事態だった事を思い出しました。
というわけで、汗だくで帰ってきた3人。ムシムシ湿度の高い日でした。
エアコンなし。シャワーお湯なし。(涙)

開いているコンビニをなんとか探して、戻ってきたマーティン。
そこも24時間のコンビニのはずだったのだけれど、
「さすがにもう閉めるから、そこらへんにあるドーナツを全部持っていっていいよ」
と言われたらしく、ドーナツをスーパーの袋一杯持って帰ってきました。

でかしたマーティン!

というわけで、廊下で3人でドーナツを食べ、その後は、各自部屋に戻り、暗闇で生活。
深夜二時半。やっと電気が戻りました。

ミルワーキーでは、アジアンムーンフェスティバルという、アジアのいろいろなダンスや、芸術を集めたフェスティバルに出ました。野外です。
やっぱり、夏は野外に限ります。
「40分のセットを2回やってください。セットの間には花火があがります」
「花火!?」
というわけで、花火本当に上がりました。
セットの間に花火が見れるなんて、こんな体験、もう2度とないかもしれません。
びっくりしました。

花火は日本が誇る文化ですね。
アメリカで、独立記念日などで花火を見る機会は結構あるのだけれど、ドンドン間髪入れずに上がり、お客さんは上がる度に、「イェー!」。
日本の、「ヒュー」の後、花火が上がり、その後の「ドンッ」という静けさに響く音を楽しむ、という「わびさび」が時々恋しかったりします。

ミルワーキーでも数人、日本人の方に遭遇。
「ありがとう!」っていう響きは、やっぱり自分のなかで特別です。
サンキューとかメルシーとかダンケとかも嬉しいけれど、「ありがとう!」ってやっぱり大和魂がうずきます。

そして、デトロイト。
クリーブランドの応援団はやってくるのでしょうか?
いましたいました!!ビッグハグ!
他にも「去年デトロイトジャズフェスで見て、来たよ!」と言う人達もちらほらいて、こうやって、少しずつ、友達の輪が広がっていきます。
デトロイトでは、途中から雨に見舞われました。
みんな、びしょぬれです。
雨の中のライブってなんとも熱いですね。
「みんな、びしょぬれで、音楽をわかちあう」って音楽に対する情熱感じます。

そうでした!いつも、ファンメール、ありがとうございます。
全部しっかり読んで、毎日、メールに支えられてます。
明日もがんばろう!と思います。
日本でツアーに行ったら、メールの送信者に会えると思うと、わくわくです。
本当に、みなさんには頭が上がりません。ありがとう。
エネルギーをくれて、ありがとう。
そのもらったエネルギー、倍にして返せるよう、日々修行の旅は続くのでありました。

4月15日

「お久しぶりです」

みなさん。おひさしぶりです。
しばらく、更新していなくて、どうもごめんなさい。
ボストンは、少し暖かくなったくらいで、まだ春とはいいがたい感じ。
こちらでは、夏が一瞬なので、みんながんばって夏気分を味わおうと、春レベルの暖かさになると、すぐ半袖で外に出る人達を見かけます。
外に出ている人を見て、「今日は暖かいんだ!」と思い、外に半袖で出ると、大失敗です。
実際、結構寒かったりするんです。
それくらい、気合いを入れて、日ざしを楽しまないと、夏なんて1ヶ月もない街なのかもしれません。

今日、これを更新する気になったのが、今朝タクシーに乗ったら、なんだかとても素敵な事を教えられたからです。
タクシーの運転手さんには、日本と同様、話をするのが好きな人たちがいて、その人は、乗った瞬間から、ずーーーっと話をしていたのだけれど、仕事の話になって、ミュージシャンだという話になると、好きな事を続けていくのは、大変な事だと思うと言われ、

「ひとつ、良く笑う事。
ふたつ、楽しくごはんを食べる事。
みっつ、友達。
後は、楽しく、音楽をやればいいさ。」

と言われ、なんだか感動したのでありました。

ごはんつながりで・・。
さて、3/26は誕生日でした。25歳になりました。
新しい炊飯器をゲットしたのですが、なんとタイマー予約ができます。
って、今どき別に珍しい事ではないのでしょうが、私が今まで使っていた炊飯器はチャイナタウンで買ってきたもので、ポチっと押すボタンがついているだけの、シンプルな炊飯器だったので、喜びもひとしお。
これで、前日にタイマー予約で、次の日起きたら、ごはんが炊けていたりするわけで。
ごはんの匂いで目覚めたりできるわけです。
なんとも感動!
実家で、よくごはんの匂いで目が覚めていたりしましたが、一人暮らしでも、このタイマー予約のおかげで、誰かが自分の為にゴハンを作ってくれているようななんともいえない暖かみに触れる事ができるのです。
スバラシイシステム!タイマー予約。
なんと、この炊飯器は玄米も炊け、生まれて初めて、玄米を炊く事に挑戦してみましたが、これまた簡単にたけて、嬉しいことだらけ!
タクシーの運転手さんじゃないけど、ごはんは楽しくたべる!ですね。

これから、半年近くに及ぶツアーが始まります。
日本に行くのは、秋。セカンドアルバムのブレインツアーは11月です。
旅先では、またいろんな珍事件があると思いますが、また、ツアー先から、書き込みます。
飛行機のチケットが取れてなかったり、ホテルの部屋が洪水でなかったり、エアラインが荷物をなくしたり・・なんて事がありませんように。
それでは。

P.S. いろいろな人に聞かれたので、報告しておきますが、水道管は治りました。
5日間水が出ないという結果に終わりました。

1月13日

「極寒」

とんでもない事があったので、これはココに書いておかなければ!と思い、書いています。セカンドアルバムのミキシングを終えて、夜遅くにボストンに帰ってきました。
家に到着して、手洗いうがいを風邪予防にしようと思ったまさにその時、蛇口がひねれない。うーん、よっぽど疲れて、力が出ないのかなぁ?いや、でも、蛇口がひれない程疲れてはいないはず。もう一度トライ。やっぱりムリ。キッチンの蛇口をひねる。ムリ。オフロ、ムリ。ま、まさか!!!そして、自分の息が部屋で白い事に気付きます。

水道管凍結。

さっそく大家さんに電話して、メンテナンスのおじさんに来てもらい、その時点で深夜12時過ぎ。ズボン3枚、セーター3枚の上に、どてらを来て、ふとんにぐるぐる巻きになり、とりあえず寒さをしのぎます。おじさんに「旅行に行っている間に、暖房を止めただろう?」と咎められます。私のアパートでは、暖房を冬の一定期間中水道管の凍結などを防ぐため、止めてはいけない事になっています。「ボストンももう5年目、そんな今さら止めていくなんて事はしない・・・」とため息まじりに答えます。

みんなで、理由を探索。同じフロアの他の部屋を調べます。
「うーん、なんで君の部屋だけが、凍結してるんだろう?」
え!私の部屋だけ?そんなおかしな事。
そして、メンテナンスのおじさん達が立ち入った最後の部屋。私の右隣の部屋・・・。
そこでアンビリーバボーな事が起こっていました。部屋に立ち入った瞬間、

「オーマイガッ!」(大声)

というおじさんの声が聞こえました。なんと、私の隣の部屋の人は、バケーションに出かける際、窓を開けっ放しにしてあったのです。マイナス15度の冬が続くここボストンでは、こんな事をすると、部屋はアイスキューブになります。というわけで、なってました。おじさんたちに見に来るように言われ、見てみると、氷博物館のよう。ツララだらけ。おじさん曰く、「風向き上、ここからの冷たい風が全部君の部屋に行って、冷凍庫がとなりにある状態になって、君の水道管も凍結して、ヒーターシステムも壊れたのだろう」と言われました。(涙)ここで、一番重要だった質問。

「いつ直るの?」

「うーん・・・・・。月曜日までに直ればラッキーかな」

エッ!!!今、まだ木曜日・・・。

というわけで、まだ水が出ません。(涙)
ヒーターはその次の日の朝8時にやっと復旧。
夜がふけるにつれ、どんどん息の白さが驚きの白さに変わっていき、ホラー映画のようでした。
あまりに急な事だったため、おじさん達もこの惨事に対応できるだけの数がそろわず、私も、見張りをしたり、おじさんが天井に登っている間、天井を押さえたりなど、徹夜で手伝う事に・・・。ミキシングの後で、疲れがピークなのに、徹夜。朝4時頃で参加したメンテナンスのおじさんが小さな電気ストーブを持ってきてくれて、そこから寒さは少しは良くなりましたが、それでも寒かった・・・。朝になって、ヒーターは直っても、水が出ないので、おじさん達の作業は、まだまだ続きます。おじさんは毎日交代だけど、当人の私は、交代できないもんなぁ・・・。私は、せっかく靴を脱いで、部屋にあがる和風なシステムにしているのに、おじさんは靴で入って、作業をするので、泣きそうです。掃除が大変。友達の家に、銭湯に行くように、シャワーを浴びにいく生活にも慣れてきました。って、慣れなくたいですね、こんなの。(涙)

あー、早く水よ戻れー!!
みなさん、水は出なくなると大変です。毎日感謝して使いましょう。

新年早々アンラッキーだなぁ・・。と落胆していた時に、テラークから吉報が届きました。「アナザーマインド」がBEST INSTURUMENTAL JAZZ ALBUM OF 2003に選ばれたそうで。さぁ、どこで選ばれたのでしょう?びっくりでした。なんと、ロシアです。
ロシアでも、私のCD、売ってるんだ・・。ロシア帽でミンクのコートのおじさん達が、私のCDを聞いている様子を思わず浮かべてしまいました。最悪の始まりと思っていた、2004年も、悪い事あれば、良い事もあり。今年もトラブルに負けずがんばります!

1月1日

「謹賀新年」

あけましておめでとうございます。
日本ツアーを終え、アメリカに戻り、セカンドアルバムのレコーディングを無事終えました。一緒にレコーディングをしたメンバーの情熱と愛情のおかげで、とことん納得のいくものを録り終える事ができました。

それにしても、日本ツアー、楽しかったです。名古屋ー福岡ー東京ー大阪と回って、たくさんのお客さんに連日足を運んでいただいて、幸せの連続でした。今回は、ベースがアンソニー・ジャクソン、ドラムがマーティン・ヴァリホラで、また3人で珍道中を繰り広げておりました。アンソニーは、ホテルの部屋から富士山が見えたと大興奮していたし、マーティンはキヨスクで、日本のおつまみに目覚め、帰りの空港ではイカメシを買っていました。(切って食べるんだよ、と教えなかったから、ちゃんと食べれたのか、心配)こうやって、他の国からやってきた人に、日本を満喫してもらえるのは、日本人として、とっても嬉しい事です。どの場所に行っても、暖かく出迎えていただき、みなさんの優しさに触れました。ありがとう。後の二人も本当に感謝していましたので、ここで私が代わりにお礼を言います。ありがとうございました。

去年は、デビューの年で、新しい事との出会いが多かった年でした。今年2004年は、2枚目のアルバムが春頃にはリリース予定で、またライブ、ライブの日々を送れたら、と思っています。一生懸命がんばりますので、よろしくお願いいたします。
2004年も、みなさんにとって、スペシャルな年になりますように・・・。


2004年1月1日